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21日参りをした。
「21日参り」というのをひすいこたろうさんが話してるYouTubeを見たのがきっかけ。ひすいこたろうさんは師と仰ぐ方からのすすめでお参りをした。講演で毎日飛び回っているから、つづけられるかというためらいはあったようだが、神さまがうま~く運んでくださっていて、無事21日お参りできていた。
聞いていてわくわくし、21日参りしてみたいって思った。そこにすかさず、つづけられるかな?って自分への疑いが浮かんだ。わたしはなーんの予定もないけどね。
数日後、21日参りしよう、浄化が必要だ、と思い立って次の日、神社へ向かった。

mamiさんのnoteを読んだ(2/19)。21日参りのことを書こうと思った。

19日目、そういえば、神社へ行かれなかったら、なんて不安にならなかったなって気づいた。
20日目、その日は午前中にお参りした。主に通っていた神社にいつもいるおじいさんの姿がなかった。かつて大きな木が祭られていた。ある年の台風で木は天寿を全うし、それから大分経っているが、木の場所で毎日一人、土木作業をしているおじいさん。この人がいないのを幸い、お参りのあと、四股を踏んだ。
ふだんうちで四股を踏むことがある。寒さが辛いときとか、こころが水牢みたいに冷えて重いときとか、楽しいときも。家はかなりガタがきてるから、あげた足はそーっと下ろす。本分を尽くして未だなお、わたしと母を守ってくれている家に、余計な負担はかけられない。
どしっ、どしっ、地面に右足左足を着けた。
21日目、神社へ行く途中で、きらきら輝く贈りものをいただいた。
手を合わせて閉じた目から涙が流れるまま、感謝した。

お賽銭、鈴をシャンシャンシャン、柏手、ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます。
21日間、していたのはそれだけ。

思いがけない贈りものをいただいた21日間。
神さまんとこに行くんだ~って毎日楽しみだった。それ自体も贈りもの。神社へ行かなくても、神さま、宇宙は、わたしの声を聞いてくれてるんだけどね。何月何日の何時ごろ、なんてしなくていい。好きなときにお訪ねできる。神さまはいつでも迎えてくれる。自由で、感謝がわくわくと泉のように湧く。
自分でいられる。
ほんとの自分とつながる感覚を、21日参りが確かにしてくれた。


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