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【原発をとめた裁判長 そして原発をとめる農家たち】と【後世への最大遺物】 ⑦

 
人が常に管理し続けなければならないということは人が管理できないのと同義である

「私が原発を止めた理由」第1章 ハイデッガーのことば

高浜4号は制御棒が落ちて自動停止
1月30日、高浜4号は制御棒が落ちて、原子炉が停止しました。建設当初からのケーブルの設置に問題があって、上に乗っていたケーブルの重みが原因だと「推定」しました。そして原因を「推定」しただけで、問題の部分を見ることなく再稼働してしまいました。

てんとう虫さん2023/8/28のnoteより ⚠これほどのデタラメが許容されるこの国の原子力ムラ



「私が原発を止めた理由」 2

はじめに

原発の運転が許されない理由は極めてシンプルで当たり前のものだということです。高度の専門知識を用い、深遠な議論の末に原発の運転が許されないという結論が導かれるのではないのです。

専門家でもない私の目から見ても、原発の危険性があまりにも明らかだったからです。

原発や地震学についての詳しい知識は要りません。* 思い込みを持たずにものごとを素直に捉える目を持った高校生以上の方が、この本を読んでいただければ結原発の危険性がどれくらい大きなものかお分かりになると思います。

*脱原発の先駆的科学者であった水戸巌(みといわお)氏は「原発の危険性を理解するのに必要なものは知識ではない。必要なのは論理です。極端な言い方をするならば、論理を持たない余計な知識は、正しい理解を妨げることさえある。」「専門家に任せるな。問題は知識ではなく論理である」と述べています(『原発は滅びゆく恐竜である』緑風出版)。私も、多くの法律家が多くの知識を身につけ、それとともに論理や感性を失っていく過程をみてきました。

「私が原発を止めた理由」はじめに 5~6ページ
樋口英明著 旬報社

「はじめに」には、原発の危険性を考えるにあたって忘れてはならない大事な点が書かれています。
「原発のことは素人になどわからないとい」ういう思いこみと、その思いこみを十全に活かしている電力会社の魔術は、「素直に捉える目」を欺くからです。
「素人にはわからない」という思いこみがあればこそ、電力会社の論理のなさが「通用」してしまっているからです。

王様は裸だー!



第2章 原発推進派の弁明

〖1〗の弁明 原発と住宅の設計は性質が違う
〖2〗の弁明 原発の設計は地表面の揺れを基準にしていない
〖3〗の弁明 地震予知予測
〖4〗の弁明 社会的必要性

原発の耐震設計が低いのでは?

〖1〗の弁明 原発と住宅の設計は性質が違う

電力会社は、「原子炉や格納容器は充分な耐震性がある。住宅と原発は単純に比較できない」と答えるのです。

52ページ

確かに原子炉や格納容器が地震の揺れで直接損壊することは極めて考えにくいことはそのとおりです。しかし、原子炉や格納容器に繋がれている配管が破損したり電気系統の故障が原発の運転中に起きれば冷却機能が失われメルトダウンそ、そうなるとそれ自体は極めて強固な原子炉や格納容器さえも破損してしまうのです。

52~53ページ

「原発の耐震性の対象は構造のみならず、配管、配電関係にまで及ぶのは当然のことなのです。」(54ページ)

原発は停電や断水が大事故に繋がり大勢の人の命と生活を奪うので*、そうならないためには、配管、配電を健全に保つという意味での耐震性が原発には求められるのです。(略)原発の耐震性の対象は構造のみならず、配管、配電関係にまで及ぶのは当然のことなのです。
 「原発の耐震性の対象は住宅よりも広範囲だから住宅よりも耐震性が低くてもよい」という考え方は、原発の近くに住む人の命と暮らしを軽視していることにほかなりません。

*原発推進派から、「福島原発事故では直接の死者は一人も出ていない」というような事故を過小評価する主張がなされていますが、複数の爆発に伴う死者がなかったのも奇跡的ですし、急性の放射線障害が出なかったのも数々の奇跡が重なったからなのです。(略)

54~55ページ


避難指示は無かった。
国は一部の国民の命や健康よりも、
体制を維持することを優先するということを、
あらためてわが身を持って感じている。
(「山の珈琲屋 飯舘『椏久里』の記録」p.148より)


「地下と地上の揺れは違うので」比較してはいけない?

〖2〗の弁明 原発の設計は地表面の揺れを基準にしていない

 しかし、地上での揺れが地下での揺れの三倍にも四倍にもなるのなら、単純に比べることは許されないかも知れませんが、本当に地上の揺れの方が地下よりも遥かに大きいのでしょうか。
 柏崎刈羽原発を例に挙げると、同原発敷地を中越沖地震が襲ったとき、(略)地上の方がむしろ揺れが低かったのです。
──────────────────────────────────
2007年 新潟県中越沖地震 M6.8 最大震度6強
 地上1018ガル
 地下1699ガル

55~56ページ

 専門的には原発の設計の基準を「解放基盤表面」と言いますが、地下の岩盤のことと理解してもらってかまいません。(略)福島第一原発も柏崎刈羽原発も岩盤と呼べるようなものは地下約二〇〇メートルのところにあり、(略)岩盤上に直接建っているわけではありません。大飯原発や伊方原発のように岩盤が地表面まであり、岩盤に直接建っている原発もありますが、そのような原発はむしろ例外です。

57~58ページ

強震動予測?

〖3〗の弁明 地震予知予測

関西電力は強震動予測という学問を背景に、「大飯原発の敷地に限っては700ガル(震度6弱に相当)以上の地震はまず来ません」といい、他の電力会社も同様な主張をし、原子力規制委員会も「それで良し」としています。

59ページ

「四つのプレートの境目に存在する世界で唯一の国で、世界の地震の一〇分の一以上の地震が(65ページ)」起きる国でこんな主張が罷り通っている。

⇩本ではこちらの図を参照しています。日本は赤の点で隠されています。

真っ赤❗

「地震予測」ができるとは聞いたことがない。
「強震動予測」は「地震予測」とは違うのか?

〖3〗に関して、本では電力会社の主張を詳しく検証していますが、省き、〖3〗の⑷「なぜ多くの裁判長は差止めを認めないのか」に進みます。

 理性と良識を働かせれば、正しい結論は容易に出るはずです。我が国では700ガルを超える地震は地盤の固いところも柔らかいところも含めていくらでも起きている地震です。

74ページ

「他の裁判長はなぜこんなシンプルなことが分からないのか」と読者は疑問をいだくのでは? そして、「裁判官が政権または政権に迎合する最高裁に忖度して、あるいはなんらかの圧力を受けたからだ」と考えるのでは?
──それ以外の理由がわたしには想像できませんでした。ところが、
「私はそうは思いません。」74ページ
──では、どんな理由が?
素人にはわからない、難しい専門的なことなんだなという裁判官の思いこみが原因だそうです。
思いこみの原因は単純に知らないから。
①700ガルは震度6か7か、②700ガル以上の地震が過去どれだけ日本で発生したか、③700ガルの地震で普通の建物は倒れるか倒れないかを、裁判官は知らないからだそうです。

なぜ知らないかというと、原告側代理人弁護士の多くがこれらのことに関心を持たないために、裁判官に原発の耐震性の低さを伝え示すことができないからです。

75ページ

「原告側代理人弁護士の多くがこれらのことに関心を持たない」のはなぜ?

「解放基盤表面での揺れと観測記録の揺れは違う」 という電力会社の主張に絡めとられているからです。
そんなことになってしまった原因は、伊方原発最高裁判決の影響。

 一九九二年の伊方原発最高裁判決は「原発訴訟は高度の専門技術訴訟である」としています。今でも最高裁は原発差止めを「複雑困難訴訟」と名付けています。最高裁が「高度の専門技術訴訟だ」と言うと、原告側代理人弁護士も、原告住民も、ついには裁判官までもが、「難しいに違いない」と思い込んでしまうのです。

76ページ

「私は、原発訴訟が専門技術訴訟であることを一概に否定するものではありません。」「(しかし、大飯原発は)高度な専門技術知識によってではなく、理性と良識によって解ける問題です。」76ページ

最高裁が「専門技術訴訟だ」と言ったということだけで、「専門技術の問題だ」と思ってしまうのは一種の権威主義です。ここでいう権威主義とは、内容ではなく誰が言ったかを重んじてしまうことを指します。

76ページ

原発を止めたいから、裁判という容易とは思えないことをしている原告住民も原告側代理人弁護士をも煙に巻いてしまう「素人にはわからない」の威力──魔力。

伊方原発最高裁判決は、「裁判所は原発の安全性を直接判断するのではなく、規制基準の合理性を判断すればよい」としています。福島原発事故を契機に制定された新規制基準では原子力規制委員会の許可を受けた原発だけが運転できることになっています。原子力規制委員会が自ら作成した規制基準に適合するかどうかの審査を経て許可が下りるという仕組みになっています。

78ページ

「権威主義」につづいて「先例主義」「科学ではなく、科学者信奉主義」の説明がつづき、更に裁判で徒に論争になっている学説の話がつづきますが、既に長くなっているので省略します。
権威主義先例主義科学者信奉主義に陥った裁判官は、

「地震学者の言うことを完全に理解しないと判断ができない」、「原発の仕組みを完全に理解できないと判決が書けない」と思ってしまうようです。

82ページ

ということなのだそうです。
専門技術論争や学術論争にとらわれ、リアリティを失ってしまうのだそうです。

ここでいうリアリティとは普通の質問をする力のことを指します。

リアリティを持つということは被災者の身になって考えるということでもあります。

82 、83ページ

 また、リアリティを持つということは、法曹人(裁判官、検察官、弁護士)としての原点に戻るということでもあります。人格権に基づく差止め請求ならば、命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分が放射性物質によって奪われる危険の有無が判断の対象となるわけですから、地震によって原発の安全三原則が犯される危険の程度を考えればよいだけです。

82ページ

我が国の憲法は間違いなく、命を守り生活を維持するという人格権(憲法一三条、二五条)が電力会社の経済活動の自由(憲法二二条一項)に優先すると定られているのです。

96ページ

電力不足 二酸化炭素 原発が解決する?

〖4〗の弁明 社会的必要性

「原発を止めると電気が足りなくなる」というのは正しくありません。

106ページ

☆原発が止まっても火力発電所がバックアップする。原発はもしもの時に備えて火力発電所とセットになっている。
事故当時の計画停電は、「三・一一の地震と津波で原発が止まったのと同時に、火力発電所も地震と津波でやられてしまったからなのです。」106ページ

脱原発派が極めて少なかったころから脱原発の市民運動がつづいていて、原発の誘致に「漁民、農民等が中心になって強固に反対した結果、電力会社は原発の新設を次々に断念せざるを得ませんでした。」
──もし、反対運動がなければ、日本の原発は八〇基を超えていたかもしれないのだそうです。八〇基を超える原発。
「原発で原発をバックアップする体制になっていたのかもしれません。その場合には原発を止めると本当に電気が足りなくなってしまうのです。私たちは反対運動をしてくれた人たちのおかげで、今、安心して脱原発に舵を切ることができるのです。」106~107ページ


「原発が脱炭素社会の要請に沿うもので、環境に良い」という主張も次の三つの理由から正しいとは言えません。

107~108ページ

☆1「原発は地球温暖化の最も大きな要因の一つです。」
ウラン燃料から出る大量の熱エネルギーのうち発電に使っているのは約三分の一。約三分の二の熱をそのまま海に捨てている。
「原発一基当り、一秒間に七〇トン、七℃海水を温めます*。」
* 1秒間に70トンを超える流量の河川は、日本には30本余りしかない。

☆2「二番目の誤りは発電時にCO₂を出さないことだけを取り上げていることです。」
「原発は鉄とコンクリートの塊です。その建造過程でどれだけのCO₂を出しているか想像してほしいのです。」
「使用済み核燃料を何万年にもわたって保管する費用と、そのために必要とされる人間の活動の総量は膨大なものになります。そして、人間が社会活動をすれば必ずCO₂がですのです。」

☆3「環境に最も悪影響を及ぼすのは原発からの放射性物質」だということを原発事故の経験が教えている。
「環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである(福井地裁判決要旨一六六頁)」
「原発推進派がCO削減を解くのは説教強盗に等しいのです。」
──辛辣なことばが、めずらしく用いられています。

国 富

 原発推進派は「原発の運転を止めると石油や天然ガス等の化石燃料を輸入しなければならなくなるために国富が失われる」とも言っていました。

109ページ

福井地裁判決は、「たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根をおろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失である当裁判所は考えている」(福井地裁判決要旨一六六頁)と応えたのです。

109ページ

🌏豊かな国土とそこに国民が根をおろして生活していることが国富🌟

原発推進勢力の言う国富とはマネーのことです。私は、多くの人に真の国富とは何かを考えてほしかったのです。そして、福島の人々、特に避難を強いられた人々の気持ちを少しでも代弁したかったのです。

109ページ

第2章はもう少しつづきますが、
⑦は長くなりすぎましたので、あらためます。



効率的に廃炉を進めることは大切なことだ。しかし、クリアランスできていない、放射能汚染物質として扱わなければならないものが入っている可能性があるものを原発敷地外に出して、第三者が「溶融」(希釈)することを許すことを認めるということがどういうことなのか。
原子力規制委員会はあらゆる角度から「規制者」に求められていることを考えるべきだ。2021年から模索されていたことについて、本当に相手の提案を聞いてからでなければ、わからないのか、わかった段階でNOという覚悟があるのか。みなさん、どう思われますか?





「私が原発を止めた理由」つづく



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