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クトゥルフ神話TRPGのシナリオの文章を書くときに気をつけていること② レトリック(修辞法)

二度目まして、因幡脩と申します。
第一回ではまあまあふざけたせいで、盛大に滑った感があるわけですが、懲りずに第二回となる記事を書いてみたいと思います。
例によって、あくまで自分が気をつけていることについて書いているだけですので、参考になると感じるところだけご覧ください。


今回の結論

前回やや遠回りしすぎたという反省をもとに、今回はストレートに結論を述べておきます。人は過ちから学びうる生き物なのですから。

かっちょよい文章を書いてはいけない

これです。
前回同様、端的で必要十分な結論ですね。
例によってこれ以降の長文は蛇足になりますので、「よっしゃわかった!」という方は早々にブラウザバックしてください。

かっちょよい文章を書きたい

文章には、人の心を動かす力があります。
幸いにも人生観を変えるような名文に出会い、その一文がずっと心に残っているという方も多いと思います。
そんな名文を自分でも書いてみたいと願い、小説を書き始め、個人サイトを立ち上げ、アクセスカウンターにキリ番を設定し、秘密の入口を仕込み、踏み逃げ禁止をうたってリクエストを募った経験は、誰にでも一度や二度はあるはずです。
そんな創作経験が豊富なあなたにとっては、『(新)クトゥルフ神話TRPG』のシナリオを書き始めること自体のハードルはさほど高くないことでしょう。
ただ、シナリオを書き始めるうちに、かつて自らの心を揺さぶり、突き動かした名文があなたの頭をよぎります。

もっと豊かな表現にしたい。
読む人の心を揺さぶるような文章を書きたい。

みずみずしい感性を持ったあなたは、自らの胸の内に広がる壮大な世界観を表現するべく、筆を滑らせていくことでしょう。
そんなあなたの強い味方ともいうべきものが、読者にインパクトを与えることのできる表現手法「修辞法」(レトリック)ですね。
それぞれの詳しい解説については小説家向けの本やウェブサイトに譲りますが、代表的なものを簡単にまとめてみました。

倒置法:語順を入れ替えるだけ。
(例)探索者は気づくだろう。目の前の人物には影がないということに。
体言止め
:名詞で文を終えるだけ。
(例)次の瞬間、探索者の目に映ったのは、影のない奇妙な人物。
直喩:大喜利のようにたとえるだけ。
(例)探索者のその試みは、まるでエクストリーム・アイロン掛けのように遊び心あふれるものだった。
隠喩:「まるで」とかを使わないでたとえる。
(例)探索者はその天使の微笑みに心を奪われることだろう。
擬人法
:人間以外のものを人間っぽく表現する。
(例)梅雨どきの空は、今日も泣いていた。
反復法
:言葉を繰り返す。
(例)その雨はいつまでも、いつまでも降り続いていた。
同語反復
:おんなじ意味のことを繰り返す。
(例)依頼を断るはずがない、探索者は探索する者なのだから。
緩叙法
:否定形で遠回しに表現する。
(例)その黒幕である人物も、決して罪の意識を感じていないわけではない。
反語
:敢えて疑問形にして打ち消す。
(例)その少女を助けようとしない探索者がいるだろうか、いや、いるはずがない。
押韻:詩などにおいて同じ母音の言葉を並べる。
(例)その村の暮らしは自給自足だ、なんなら探索者も移住しとくか?

どうでしょうか、これらのテクニックを使えば、かっちょいい文章も思いのままですね!

修辞法で文章をデコっちゃおう

さて、それを踏まえて、因幡脩とかいうどこの馬の骨とも知れないやつのシナリオ、「つめたいあの人」の冒頭を見てみましょう。

休日の正午。小雪のちらつく中、探索者たちは友人の霜田に呼び出され、ススキノから徒歩5分、狸小路駅前にあるファミリーレストラン「オールド・ストリート」を訪れている。この店はハンバーグやステーキなどの肉料理が自慢で、セットメニューを頼んだ場合はサラダやスープが食べ放題となる。ログハウスを思わせる明るい店内には落ち着いた色調のボックス席が並んでおり、大勢の客で賑わっている。

「つめたいあの人」/因幡脩(TALTO)

シナリオコンテスト応募作ということですから文字数制限という事情もあるのでしょうが、それにしたってなんだかつまらない文章ですね。
きっとこの作者は、もののあはれというものを理解していない冷血漢なのでしょう。
ここはひとつ、因幡某に代わってかっちょいい文章にしてやろうじゃありませんか。

その日も小雪のちらつく寒い日だった。見上げれば、まるで今にもボタリと落ちてきそうな分厚い雲が隙間なく広がり、万人に対して平等に与えられるべき天の恵みである陽光を遮っていた。
なんとなく閉塞感が漂う陽気ではあるが、探索者たちの表情は明るくないわけがない。なにしろ今日は休日であるばかりでなく、気の置けない友人の霜田とランチの約束をしているのだから。
約束の場所はススキノから徒歩5分、狸小路駅前にある「オールド・ストリート」。肉汁したたるハンバーグやステーキなどが自慢のファミリーレストランだ。なんともありがたいことに、この店ではセットメニューを頼むとサラダやスープが食べ放題となる。ランチにしては少々贅沢な価格帯ではあるが、味も申し分ないことではあるし、食べ放題をうまく活用すれば元を取って余りある値段だと言えるだろう。コストパフォーマンスというものは、つまりそういうことなのだ。腹を空かせた肉食獣たちは、ドアに付けられた軽快なカウベルの音を響かせながら戦いの地へと赴く。その瞬間、暖かい空気の層に迎えられ、あたかも天国への門をくぐったかのような心地がするだろう。もっとも、天国の門をくぐった経験など誰にもありはしないのだが。
ログハウスを思わせる明るい店内は、どことなくアンティークを思わせる落ち着いた色調のボックス席が並んでいるが、どの席も家族連れやカップルなどで埋まっており、満員御礼、札止めといったところだ。こんな寒い日に出歩く物好きは、探索者だけではなかったようだ。

長いな!

どうでしょうか?
前の文章に比べてずっと豊かな表現になったのではないでしょうか。

文学的文章と説明的文章

ただ、ちょっと待ってください。
文章を書くときにはそれが「誰に宛てたものか」を意識することが大事だというのが第一回の記事の要旨でした。
では、シナリオの文章は誰に宛てたもので、何のためのものなのでしょうか。

もちろん、『(新)クトゥルフ神話TRPG』のシナリオなわけですから、ゲームの進行役を務めるキーパーに宛てた文章ですよね。
そして、文章の目的は「キーパーにシナリオの内容を理解させ、滞りなく進行できるようにすること」です。
言い換えるならば、「キーパーにとって内容が頭に入りやすく、臨機応変な進行に資するような文章」が最高なわけですね。
それを踏まえて、もう一度考えてみましょう。

その修辞法は本当に必要ですか?

世の中の文章は、大きく「文学的文章」と「説明的文章」の二つに分けられます。
「文学的文章」というのは、詩や小説など、読者の感動を目指すために書かれる文章です。
それに対して、「説明的文章」というのは、論文や報告書など、読者の理解を目指すために書かれる文章です。

因幡は、シナリオはキーパーに向けた説明的文章だと考えています。
シナリオの構造、意図、分岐、判定などが誤解なく、きちんと伝わるような文章が最高だと考え、それを目指しているわけです。
したがって、因幡はシナリオにおいて、キーパーにわかりやすく伝えるための直喩(まるで〜のようだ)と、ニュアンスを説明するための緩叙法(〜していないわけではない)以外の文学的表現は原則使いません。
キーパーに向けた文章でいくら倒置法や体言止め、隠喩などを使っても意味はないですし、むしろそういった表現手法を使うことでシナリオ理解の妨げになったり、誤解が生じたりすることを恐れています。

そしてこれは、感動する物語に主眼を置いたシナリオにおいても同様だと思っています。
公式のようなシナリオならともかく、感動する物語なんだから説明的文章ではなく文学的文章だろう、と思われるかもしれません。
しかし、そのシナリオで感動させるべきはあくまでプレイヤーであって、別にキーパーを感動させる必要はないんです。
むしろそのシーンを演出する際に何を心がけてほしいのか、どういう心情であることに留意してNPCのキャラクター演技をしてほしいかなど、シナリオの意図は文学的文章で感じ取ってもらうのではなく、しっかりとキーパーに伝えるべきで、それはやっぱり説明的文章なのです。

シナリオと小説の違い

そう、シナリオは小説ではありません。
「作者 → キーパー → プレイヤー」という図式なのであって、
「作者 → キーパー&プレイヤー」ではないのです。

ここを混同すると、非常にわかりにくいシナリオになってしまいます。
たとえば、ギミックとして「意外な犯人」を組み込んだとします。
「明らかに怪しいと思っていた人は黒幕ではなくて、実は無害そうな依頼人こそが犯人だったのです(ズギャァーン)」というやつですね。
ただ、秘密にしておくべきはあくまでプレイヤーに対してであって、キーパーに対しても終盤まで秘密にしてしまってはいけないのです。
むしろキーパーには最初に種明かしをしておくべきで、「どんでん返しがこのシナリオの美味しいところだから、依頼するときにはいかにも無害そうに演出してね」と前もって伝えておくべきなのです。

伏線回収なんかも同じですね。
伏線の程度にもよりますが、キーパーに対してもプレイヤーと同じように示してしまったのでは、最悪伏線であることに気づかれないで終わってしまうかもしれません。
必要に応じて「ここはのちに伏線になるところなので、キーパーはさりげなく強調して描写するようにしてください」と指示を入れてあげると、キーパーのシナリオ理解が進み、いざプレイするときにはきれいに伏線を張ってくれることでしょう。
キーパーにとって優しい文章とは、「キーパーにもこのシナリオの感動や驚きを味わわせてあげる」ものではなく、「キーパーにはこのシナリオの仕組みをすべてつまびらかにしてあげる」ものなんですね。

やっぱりかっちょよい文章を書きたい!

しかし、どうせ創作のために文章を書くのなら、説明文よりも情感のこもったかっちょいいやつを書きたいですよね。
「お前修辞法は強い味方って最初に言うとったやろがい、なに嘘ついてくれとんねんボケカス!」と石を投げたくなった方も多いと思います。

そんなあなたに朗報です。
シナリオにおいて、かっちょよい文章を書いてもいい箇所が二つあります。

それは「プレイヤー資料」と「描写例」です。

プレイヤー資料というのは、新聞記事、日記、手記、報告書などの形をとって、そのままプレイヤーに配布するアレです。
クトゥルフ神話TRPGの登場人物というのはすべからく筆まめなので、たとえ命の危険が迫ってようが、怪物を目撃してようが、隙あらば手記を残してやろうと目論んでいます。
そして命を散らしながら「窓に!窓に!」とか、「玄関に!玄関に!」とか、「山田さんちに!山田さんちに!」とか、きったねえ字で書き殴るわけです。

描写例というのは、たとえば怪物の出現シーンや悪夢のシーンなどにおいて、作者が前もって恐怖描写を用意しておいてあげるというアレですね。
公式シナリオでは「キーパーは以下の文章を読み上げること」という前置きをした上で、枠で囲って示してあることが多いと思います。

この二つについては、もう、めちゃめちゃかっこつけましょう。
なぜかというと、この二つはキーパーに向けた説明的文章ではなく、直接プレイヤーに提示されることを意図して書くものだからです。

プレイヤー資料は、新聞記事なら新聞記事らしく、手記なら手記らしく、いかにそれっぽくできるかが(そして必要な情報を入れ込めるかが)腕の見せどころです。
描写例は、せっかく神話的存在がお出ましになったというのに「ちょーやべーやつが、こう、ぐわわわーんと、えぐいくらいにやばやばな感じでめっちゃ出てきた!」では寂しいわけです。
それこそどのように雰囲気を醸し出してプレイヤーの恐怖感を煽るか、物語に入り込んでもらえるかの勝負なわけですから、恥ずかしがってる場合ではありません。
そんなとき、修辞法を効果的に使えるようになっていれば、とても心強い味方になってくれることでしょう。
ちなみに描写が思いつかないという方は、とりあえず「おぞましい」と「名状しがたい」を並べとけば、なんとかなります。
もっとバリエーションがほしいという方は、ルールブックや『マレウス・モンストロルム』などを参考にするとよいでしょう。
ちなみにクラシック版(6版)の『マレウス・モンストロルム』をお持ちの方は、P.289-290あたりに描写に使える言葉一覧が載っています。
「シャンシャンいう」とか、「シューシューいう」とか、チョーベリベリ最高ヒッピハッピシェイクな言葉ばかりですので、これは活用しない手はありませんね!

読み上げれば回せるシナリオについて

さて、これまで述べてきたとおり、シナリオは通常、地の文がキーパー向け、描写例などがプレイヤー向けの文章になります。
ただ、最近では「そのまま読み上げれば回せるよ」という形式のシナリオもあります。
いわゆる地の文がプレイヤー向けの文章で、キーパー向けの文章は特記するという、いわゆる通常とは逆の形式なわけですね。
こちらも考え方は同じです。

その文章は誰に向けて書いているのか?

これを意識して書けばよいのです。
「そのままプレイヤーに読み上げる」ことをベースにしながらも、シナリオである以上は「そのまま読み上げちゃいけない部分(キーパーに向けての指示)」は絶対に存在するわけです。
したがって、その二つの棲み分けをきちんと行って、読者であるキーパーにわかりやすく示さなければ、かえってわかりづらくなってしまいます。
そこをちゃんと意識することができれば、あとはコンセプトと好みの問題ではないでしょうか。

このnoteでは、とにかく「誰に向けての文章か」を意識することが大事なんだと、2回に分けて述べてきました。
いい加減、耳にクトゥルフができてしまいそうですね。
でも、そこさえ意識していれば、キーパーにきちんと伝わる文章になると自分は思っています。
執筆の際はぜひ、お試しください。

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