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人の優しさに包まれた幸せ

今回の記事は、心の整理をする為に、思うまま、出来るだけ正直に書いてみました。
マイナスなところも多々ありますので、苦手な方は読まない方がいいかもしれません。


長男は、地方の大学を卒業して、横浜で就職した。マンションで、一人暮らしをしている。

今回、というかこれで2度目なんだけど、長男のいる横浜へ行ってきた。なぜ行ったか、理由は後にします。そして、3泊した。訳あって、長男のマンションに泊まることは出来ず、ビジネスホテルに泊まった。

4日間、横浜に滞在したんだけど、すごーくいい街だった。わたしは、着替えなどの荷物もあって、カートを引いていた。駅の中を歩いていると、年配のご婦人が、「あら、すごく持ちやすそうなカートね」と話しかけてきた。こんなふうに、話しかけられたことは、今の居住地ではなかった。心の中がジーンと温かく嬉しくなるのがわかった。
そのご婦人と、カートについて、5〜6分立ち話。やっぱり、わたしはこっちの人間なんだなあと思った。もし、こっちにいたら、こういう温かいふれあいが、毎日のようにあったのだろうか。今の居住地では、わたしは、多分、地元の人から見て話しかけにくい人。今の居住地の地元の人にも優しさはある、わかっている、けど、優しさの種類が違うんだと思う。わたしの優しさも今の居住地には合わないんだな、と思うことが何回もあった。

4日間の滞在の間、人とのふれあいで、それはとても心地よく、幸せだった。
長男と電車に乗ったとき、冷房が苦手な長男は、長袖の服を着た。そのとき、隣に座っていた、優しそうなおばさんが、長男の服の裾を伸ばして、手伝ってくれた。その時の優しさが溢れる表情。
わたしは心地良さに包まれた。
こっちにいたら、あのままこっちにいたら、どんな人生が待ち受けていたことだろう。長男も前の記事に書いた「バス停留所」のような作文を書くような気持ちを味わうことはなかっただろう。それは、次男も同じ。

合わないところに住んでいる。わたしが今まで出会った人は、皆、今住んでいるところが大好きだという人が多い。わたしは、何をやっているんだろう。空虚な時間ばかりが過ぎていった。空っぽ

長男が用事をしている間、軽食をとりながら待った。

美味しいものを食べているときは、やっぱり幸せ❤️

タクシーの運転手さん、ひとことひとこと話すたびに、心地良さに包まれた。

長男のマンションで、エレベーターに乗ったとき、一緒に乗った女の人が、降りる時に「同じ階だったんですね。」と言い、部屋に入るときに「隣だったんですね」と言って、にっこり笑った
。こんなことも、今の居住地では、全くないことだった。

今の居住地で、人から話しかけられない、という生活を十数年、送ってきたので、横浜に来て、
度々話しかけられるので、わたしは話しかけにくい人ではないんだ、とわかった。そう、ただただ今の居住地は、合わないんだ。

横浜に来て4日も経つと、帰るのが嫌になってしまうほどだった。

長男は、居心地がいいと言っていた。やっと
自分に合うところに辿り着いて、よかったね、ここで人生を切り開いて欲しい。そう思った。

長男と区役所へ電車に乗って行った。駅で降りて
30分は歩いただろうか、すごく遠くに感じた。
わたしは歩くスピードが遅く、長男は自分のペースで歩き、数十メートル先で、わたしを待っている、という歩き方だったけど、長男はこのくらいの距離を誰かと歩いたことがあるのだろうか。
区役所は、近くにきれいで豊かな緑の公園があった。

区役所の用事が済んだ後、ランチにカフェへと向かった。今、思い出すと、このことがとても幸せだったなあと、不思議なんだけど。
カフェもすごく遠かった。だいぶ歩いた。

小さなカフェだった。そこで、ランチをした。


アイスウィンナーコーヒー、写真に撮れなかった。

息子は、誰か友達とこのようなカフェに入って楽しい時間を過ごしたことがあるだろうか。
息子に心の友が出来て、ランチやお茶や、居酒屋などで共に過ごす、それがわたしの長く望んでいた、願っていたことだった。

長男の様子を見て、連れて帰らなくてはならないと思った。長男の身体と心が癒されますように、そして、完全に治りますように。