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雨の日に想うこと

「今日は雨か!」と憂鬱になる人もいるでしょうが、雨でこそ想うことがあるんです。
「晴耕雨読」とは、晴れた日は畑に出て耕作し、雨の日は家にいて読書すること。田園に閑居《かんきょ》する文人の生活などに言われます。
今の私は、晴草雨観(晴れているときは草取り、雨の日はテレビを観ている)だったり、晴写雨曲(晴れていたら写真を撮りに行き、雨の日はギターを弾いている)だったり、晴雨同記(晴れても雨でも「note」を書いている)だったりします。

キャンピングカーの展示会で、屋根にあたる雨の音を消すという車がありました。私にとっては必要ないな、と思いました。
何故なら雨の音は心地よいのです。煩《うるさ》くて眠れないということもなく、むしろ心地よく眠れるのです。また、ぐっすりと眠ることができるので、起きるのも遅くなってしまいます。
これは音楽にある『「1/f」ゆらぎ』と言うそうです。

「1/f」ゆらぎ(Wikipedia)

雨の日は、心静かに自分に向き合うときでもあります。
私は、何をしているときが一番心安らかなのか?
何をしようと心に決めたのか?
たとえば、山に登るのは、壮大できれいな景色と出逢うため、苦しくなったらゆっくり歩く。少しでも楽に歩くには、どうすればいいか考える。今日はダメだと思ったら、引き返す。ヘトヘトでも歩いた自分を褒《ほ》めてあげる。撮ってきた写真をレタッチ(編集)して心の風景と統合する。
そして、「note」に綴《つづ》る。あの日のことを思い出しながら…。

※余談:思うは過去にあったことを、想うは未来のことや心に描いたこと、想像の世界と解釈して使っています。


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