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元教員、初めての採用試験


大学を出て一番最初の仕事は、
支援学校の非常勤講師だった。

1年のびのび学ばせてもらい子どもと話し合い先輩方からたくさんのことを教えてもらった。
教員採用試験の結果は、職員室みんなでみた。
わたくしは最初自分の番号を見落として
「ないです!!!!!!」と言った。
向かいの大先輩が「もう一度見てごらん」と
優しくも大きな声で言うもので
「はい!!!!」と返事をして上からじわじわ確認していった、ら、あった。

「ありました!!!!!!!!!!」

職員室でわー!!おめでとうー!!!と
お祝いされて、心の底からよかったと安堵した。
「よかった」とは、報いることができた、の
よかったである。

わたくしの都道府県の教員採用試験は、
小論文、一般教養、時事問題、教科問題、体育(マット運動バスケ水泳)、面接が一次。
二次でGWと面接とあとなんかあったような
三次もあったような。である。

受けようと決めた後、教頭に相談した。
そこから私の特訓生活が始まったのである。

ピアノは、音楽の先生が時間を見つけて教えてくれた。
水泳やバスケは体育の先生が指導してくださった。むしろ途中から子どもが誘ってくれてたくさん教えてくれた。自閉の子が何回も同じことを丁寧に教えてくれるから、私の体育嫌いがなくなったしその時間はその子を「師匠!」と呼ばせていただいていた。長所!!
数学、国語、一般教養、そして話し方、
模擬面接まで子どもの就労支援のように
学校の先生達がみてくださっていた。

そして子ども達も先生だった。

「ずっといて欲しいけど、先生夢なんでしょ?応援するしかないよ」って
笑顔が得意な子と笑顔特訓と題してにらめっこ笑顔をし続けたし、
漢字の辞書をみながら「先生のテストに出るかもしれないから教えてよ」と、一休さんばりのトンチをきかせて宿題を聞いてくる子もいた。
「ぜってーいかせねーし!」と暴言を言うけど
「先生どこいっても人気でるからやだ、一緒のパン屋いこうよ」て私の自己肯定感を育ててくれた子もいた。

だから絶対に受かる!!!!


自分のためでなく人のために受かりたい!!と
気持ちがシフトしたおかげで、
倍率がとんでもない試験を通った。

プールの試験中(私は泳げなかったので、特訓して25mギリ)つらくて諦めようかと水面をみたら、教え子がカッパの格好をして「ついてこい」て言ってくれた(幻覚)から乗り越えられた。

スキーの歌を弾きます!と音楽の先生と吟味して選んだ試験課題で一番難しく誰も弾かないであろう曲を選び見事に間違えまくりながら、やらなくてもいいけど子どもと歌いたいので歌わせてください!と弾き語りした試験は、弾き終わった後面接官3人が笑いを堪えて「みんな骨折してましたね…笑」とコメントをくれた。私はここでも「はい!!!!!!でもみんな楽しかったと思います!!!!!」と返した。サイコパスである。

マット運動は側転開脚前転前転後転開脚後転からの倒立前転である。側転はぐちゃくちゃのスター!みたいな4本足動物みたいにしてクリアした!顔はオリンピック選手ばりである(ここら子どもに指導を受けた)前転は得意だからね、綺麗!後転はマットから全部出たけどたぶんぐちゃくちゃにできた!倒立前転は丸まらないから、倒立したあとはただゆっくりバーーーーンッッッッッ!!!!!!と床にバーンした。ちょっと跳ねた気もする。そしてすぐにオリンピック選手の如く立ち上がり両手を開き「ッッハイ!!!!!ッ!!!!!」として終わった。音がでかかった。

とにかく挨拶と、やる気をみせつけて生き抜いた。小論文とかも絶対受かる!受かった前提で話を書いた。

試験翌日に、教頭に報告した。
教頭は麦茶を啜った後、
「うん、うーん、すごく元気だったね」

と、言っていた。

ちなみに私は受かるぞ!と言う気持ちと通信間に合わないから来年受けたいと言う気持ちがあり、まさかの一次突破で通信大学に多大な無理難題をしかけかけられることになるのである。
(なんとかなった)

教員採用試験たのしい。
ハンター試験みたいだよ

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