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藤子マンガを探して

※ここでは便宜上、藤子・F・不二雄氏を「藤子」と表記します

12月読書会は、藤子の「異色SF短編集」を対象本とすることになった。
そこで、藤子マンガそして短編集について、自身の思い出も含めて触れてみたい。

物心ついたときから、藤子マンガがいつもそばにあった。
幼稚部のときにてんとう虫コミックス「ドラえもん」を買ってもらったのが最初の記憶。
さらに小学低学年の頃は「オバケのQ太郎」「キテレツ大百科」「バケルくん」「21エモン」「T・Pぼん」などをくり返しくり返し読んでいた。

そして小4のとき「SF短編集-宇宙人-」と出会う。

サンコミックス版より(1979年・朝日ソノラマ)

それは、今までの子ども向けの藤子マンガとは、明らかに雰囲気が違った。収録されている短編作品には、軽い不吉さというか、それまでの藤子マンガにはない不穏な要素が散りばめられていた。

特に「みどりの守り神」という作品は、細菌によって人類が絶滅。ただ一人残されたヒロインが自死を選ぼうとするストーリーだった。

上掲コミックスより

少年マンガなのでラストで希望が約束されてはいる。
けれどもみなが死ぬという筋立てに受けた衝撃は大きく、その夜はなかなか眠れなかった。

そうして中学2年の春、ターニングポイントとなる作品に出会う。
それが「異色SF短編集」だった。

小学館版より(1977~87年刊)

不思議な怖さのある大人向けのストーリーが、ページをめくるたびに眼前に拡がり、なんとも言えない感動があった。
これらの作品群を楽しめた自分が、ひとつ大人になったような気がした。

出会いはまだ続く。
その年の6月、中央公論社「藤子不二雄ランド」シリーズが始まった。藤子作品が毎週1冊ずつ、全集として刊行されることになったのである。
藤子ファンにとってまるで夢のような企画。入手困難だった古いレアな作品も読めるようになり、僕はますます藤子マンガにのめり込んでいった。

そして学校で同じ藤子ファンの友人と出会い、それをきっかけに5人で同好グループを作り、中3の夏休みまでの1年間毎月マンガ同人誌を発行することになるのだが、それはまた別の話。

さて、この異色短編集は、なんといってもジャンルが非常に幅広い。コミカルな話あり、救いのない話あり、軽妙なショートあり、SF王道ものあり。
それにしても驚くのは、「ドラえもん」など数々の子どもマンガと並行しながらこれら膨大な数の作品を描いていたことだ。

また、いまあらためて読むと、世界で現出している様々な状況に符合するかのような作品が多いことに気づく。戦争、人口爆発、環境汚染、感染症、核家族化、フェミニズム、そして道徳や正義の価値観の相対化・・・。
これら作品の大半が1960~70年代に描かれていたことを考えると、あらためて藤子の先見性を感じるのである。

最後に、これらの短編でもっとも「切ない」作品をひとつ紹介したい。

「劇画オバQ」。

あの「オバケのQ太郎」のその後を描いた作品である。
かつて最終回でオバケの国へと帰って行ったQ太郎。

藤子・F・不二雄大全集SF・異色短編①より(2011年刊・小学館)

その15年後、ふたたび帰ってくる。懐かしい親友・正ちゃんや仲間たちに会うために。
しかし、みんな大人になっていた。Q太郎だけが子どものままだった。

昔のように正ちゃんたちと遊びたい。
しかしサラリーマンとして日々忙しい正ちゃんたちは、かつての正ちゃんたちのままではいられない。

そのことを知り、再びオバケの国に帰ってゆくQ太郎。
その背中は寂しく、もう正ちゃんたちを振り返ろうとはしない。

かつて子どもだった僕らは、何を失ったのか?
作品を一貫して流れる寂寞感が胸を打つ。

「大人になった」みんなに、ぜひ一度読んで欲しい作品である。

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