ちょっとだけお金を増やしたかっただけなのにその1

定年まであと干支一周って感じだけど、人生最大のピンチに陥っている。
まあ、それなりのホワイト企業に勤めてるし、ローンも全額前倒しで返せるくらいは、貯金がある。と家族は思ってるだろうな。
でも現実はすぐ使えるお金は100万ちょいあるだけ。子供の来年の学費やクルマが突然壊れてしまった時に払うお金はない。
新築の家を建てて10年越えて、ローン減税も無くなり、家電も壊れ始める時期です。今年はエアコンが壊れて焦りました。7万くらいで済んだので助かった。
なぜこんなふうになってしまったのか?
全ての諸悪の根源はFXです。
今現在合計金額マイナス4200万。
細かく言うと、10年前に一度マイナス1500万でいったん退場して、5年前に復活してる更に2700万マイナスが増えた。
無くしたものは戻らないし、更に減らす可能性もあるが減る金額は減っている。単にもうお金がないからだけどね。なぜノートに残そうと思ったのか?なぜこうなったのかの根本的原因の考察、昔話、そして、これからの事。既に7年負け続けてることに対してどうでもひっくり返していくのか?そのきっかけは何か?を書いて残したいなと思ったからかな?

チキンライスって言う曲があるよね。
この気持ち今の子供には分かるかな?と言う歌詞がある。私にはとても共感できた。当時とても仲の良かった友だちの家はとても裕福で、遊びに行くと当時人気のあったTVアニメのメカキャラが全種類お出迎え。庭にはとんでもなくでかい鯉のぼり。その友だちからは、たまに寿司を食べにいった話を聞かされた、トロとかイクラとか言うワードはなぜか覚えているが、羨ましいと思ったことはほとんどなかった。当時の自分の家庭環境を理解していたのかもしれない。その頃の気持ちがまさにチキンライスです。
今日は外食だよと、おかんが言うとワクワク感が止まらなかった。行く店は決まって近所の中華料理店。メニューにはいろんなものが載っているが、自分はコーンスープしか頼んだことはなかった。高いものは食べみたいがそんな事言えなかった。でもそれでも満足してた。
親は頑張って家を建てて、引っ越しをした。
なので、貧乏ではなかったが母親の貧乏根性は自分に引き継がれた。
貧乏根性って、単なるケチではないんだよね。
使う時は使うんです。ただ一つ買う基準が安い事。これが一番で更に安いから安過ぎるまで行くと、欲しくなかったものまで欲しくなる。人よりも安く買いたいっても思ってるんやろね。安物買いの銭失いってやつね。それが食べ物の時はタチが悪い。
パチ屋との出会い。
時はぶっ飛んで大学2年の終わり頃。
下宿の理系の私大。親にかなりお金使わせてただろうな。でも成績は不良が付いていた。せめて留年した時は自分が学費を払うつもりでバイト始めた。
今思うとわけわからんよね。勉強しろよ。
ある意味当時の悪友から、あの店のあの台を朝から打つと勝てるぞとの情報を得る。インターネットって何?ポケベルが始まり、携帯は手が出なかった時代。店の新台入れ替えの日は勝てた。今とは比較にならないくらい勝てた。釘なんでガバガバです。そう。情報を得ることが一番難しかったのだ。あとは並ぶだけなのだ。
コンビニの深夜勤務バイトからそのままパチ屋にならんで、昼前に帰宅。起きたら夜。
いつ学校行くんだろ。学校の長椅子って便利だよね。後ろで寝れるからね。アホやね。
パチ屋通いは3ヶ月持たなかった。
何を打ってたのか?これ知ってる人は結構なオッサンだね。
綱取物語です。
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