冒険の書

人間の一生の過ごし方について
「学びたいなら学べばいい。働きたいなら働けばいい。もし何かをすることに疲れたなら、休めばいい。」
言葉は身体のどこかにあったけれど、机上の空論という思いもあった。綺麗事とでもいえば良いだろうか。他人から言われると認められたような気持ちでホッとする。

本にある
〜20歳まで学ぶ、
〜60歳まで学ばない(働く)、
〜100歳は何もしない
の記載にはうぐっとなった。発達段階(幼児期、青年、成人したら働く)なんていう仕切りは取っ払ってしまい、人はいつでも遊びたい時に遊び、働きたい時に働けばいいのである。

労働者になるための技能の訓練所を目的とした「学校」。思えば、人間が作った仕組みに人間が縛られている。

年齢によらず、学んだり、遊んだり、働いたりできるように人生を作り直す。必要性を著者は考えている。

学校では自主性を育てるアクティブラーニングを→ディベート授業をしよう
という風潮があるそう。日本人に叩き込まれた受け身授業はそれだけで変わるとは思えないのだが。机に座って先生の教えを受けることが当たり前すぎて、疑問も感じないし、通念に習いすぎて頭で考えなくなっていることに気づく。
「学ぶにはいつからでも遅くない」相談相手の常套句と言える。ありふれるほど転がっているのに自分に言葉を落とすには時間がかかるようだ。

確かに学びの楽しさや喜びを追求するなら早い教育より遅い学習のほうがよい。


人生100年のうち、たった数年ちょっと早く何がが上手くできるようになったからって、それになにか意味があるわけ?
世の中に蔓延る、まことしやかに伝わる「神話」はほんと?


転ばぬ先の杖ばかりでは、失敗する権利がなくなる、
なんで失敗するのに臆病になっているんだろう?

僕たちは失敗したくなくて、つい正解を求めてしまう。なぜか、「正解」を求める勉強ばかりしてきたから。「無用之用」器は中が空っぽだから役に立ち、家は窓をくり抜い建てて何もない空間だから部屋として用をなすように、何もないからこそ役に立っている。役に立つかどうかはものの見方次第で、この世の中に役に立たないものはないという見方。

この本を読んで、
特に角、考えること。自分で考える。
それって本当に必要?など、不思議に思ったはじめの気持ちを大切に。

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