見出し画像

努力をしなくてもいいという前提の組織や人は、いずれ破綻する

お金を生み出すだけではなく、満足を高めたり認知度を上げたりと、様々な成果を生み出したり高めたりする。
そのための行動に『努力』が伴う。

きっとそれが当たり前なのだろう。
だが稀に、努力を伴わない行動(活動)がある。
↑↑これは遊びのことではなく、法人の社会活動での話だ。

これは一例に過ぎないし、稀な例なのだが・・・。

私の関わった例。

補助金や助成金に頼っている組織や、己の高い技術力で、そこまで高い技術を求められない成果物を求められるような仕事をしている場合だ。

上記の組織の場合、自治体や国に申請をして、調査研究などをするNPO 法人なんかがそれにあたる。
特にその活動による報酬が生活費になっていない人たちの集まり、例えば定年退職をして、セカンドキャリアとして生きている人たちの集まりなんかが いい例だ。

なにも努力をせず、暇つぶし のような事務作業や活動を していると 小遣い銭より少し高い程度のお金がもらえる。
期限内に確実にできる程度の作業を行っていれば、誰にも文句を言われることはなく、それでも労働に対する十分すぎるほどの対価がもらえる集まりだから、努力なんですする必要はない。
必要経費と称して飲み食いや仕事には必要のないようなものを買い、我が家に持ち帰る。

そんなことを数年間続けていれば その組織が持続的に発展することもなく、いつのまにか解散という形になってしまう。

可哀想なのは そのNPOに社員として登用され、事務員として自らの生活費を稼ぎ出すような仕事をしていた人だ。
主に活動する人たちが何の努力もせず ほどほどにそこそこの活動をしていて 、好きなだけ遊び好きなだけ備品を持ち帰り、そして数年間で解散。

残念ながら我々の税金で、このような活動をしているNPOは少なくはない。
持続的に数十年間もこういう活動が続くわけもなく、通年でその活動を閉じ はするが、甘い汁を吸っている人たちは、また新たなNPOを作り、自治体や 国から補助金などをもらってのうのうと遊んでいるということが現実である。

また組織だけではなく個人でもそうだ。
ある製造業で、とてつもなく高いレベルの技術を持っている職人がいる。
その職人は、昔から顧客が必要とする 要求レベル以上の品質を作り出すことができた。
しかし、今現在高品質の要求をされる仕事がほとんどなく、その技術が生かされることはほぼなくなっている。
その技術を必要とするような、新たな会社に転職でもすればいいのだが、転職をするのが面倒くさいという理由だけで、その高い技術を活かさず、誰よりもスピーディーに仕事を終わらせることができる。
そして誰にも協力をせず、時間をもて余し、ただサボっている。

ある時まではそれでも許された。
ある時からそれが許されなくなった。

本人には既に変わるだけの柔軟さはなかった。

正規の理由でリストラにあった。


それが今の現実で、それを許し、そうやっていても罰せられることもなく過ごしていけるのが今の日本だ。

生きていく、役に立ち続ける、生き甲斐や張り合いを求めていく。

そこには努力があり、その努力こそが人としての証なのではないだろうか?



知らんけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?