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ただそこに居るだけのデイサービスに存在意義はない

そういうこと。

好んで通ってる人もいるだろう。
家族に促され仕方なく通ってる人もいるだろう。
意味もわからず強制的に通ってる人もいるだろう。

デイサービスの意義を改めて考えてもらいたい。

通所介護の事業は、要介護状態となった場合においても、その利用者が可能な限りその居宅において、その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう生活機能の維持又は向上を目指し、必要な日常生活上の世話及び機能訓練を行うことにより、利用者の社会的孤立感の解消及び心身の機能の維持並びに利用者の家族の身体的及び精神的負担の軽減を図るものでなければならない。

厚生労働省
  • 可能な限り自宅で自立した日常生活を営めるように支援する。

  • 社会的孤立感の解消をする。

  • 心身の機能の維持を行う。

  • 家族の身体的・精神的な負担の軽減。

ってことだ。
どれかひとつをやればいいと言うことではない。
すべてをサービスとして提供すると言うことだ。

例えば口腔体操。
ある利用者がこう言う。「そんなアホらしいことできるか!」と。そしてご飯前にみんなで行う口腔体操に参加することはない。

ここで事業所の力量がわかる。

  • 本人の意向を尊重して、そのままなにもしない。

  • 「お歳を重ねると知らない間に飲み込む力や噛む力が弱くなってきて、食べ物が気管に入ってムセたりするんですよ。いつまでも自分の力で食べられるように今のうちに噛む力や飲み込む力を鍛えておきましょう」って、本人の意向に反して説得する。⇒結果、アホらしいと言いつつ口腔体操をやる。

なにが正しいかは会社の方針だが、公費で賄われる以上、お国の方針には従わなければならない。
その中で、事業所ごとに特色が出るわけだ。

滞在型のデイサービスの場合、

  • 友達とお喋りがしたい人

  • 入浴が目的の人

  • 新聞読んでのんびりしたい人

  • 将棋や囲碁をしたい人

  • 周囲に合わせて楽しむ人

など様々だし、強制されることに苦痛を感じる人がいる。

でも、サービスの提供は介護計画に基づいて行われるもの、という大前提に立てば、朝来てお茶を飲み、ボーッとして昼食を食べ、ボーッとしてお風呂に入り、ボーッとして帰宅する、なんてことがあってはならない。
なぜならば、介護計画にボーッとするとは書かれていないからだ。

体調によって、その日だけはベッドで寝て過ごす日もあるだろうが、通常はなにがしかの活動は行ってしかるべきなのである。

だからといって、嫌なレクリエーションに無理やり参加させる必要もないし、その人の意思を無視していろんなことを強制させてはいけない。

ただ一定の時間観察して、ボーッとしてるじゃないか!と批判できるものではない。

将棋をしたあとに、椅子でうたた寝してもいいじゃないか。
カラオケが嫌いなら参加しなくていいじゃないか。
様々なレクリエーションに参加しなくてもいいじゃないか。

ただ、参加したくなる工夫は必要だ。

あるデイサービスでは、都道府県名産品を考えようというゲームで、各都道府県の名産品をみんなに考えてもらい、ホワイトボードに書いていくのだが、全く興味を示さず、参加をしてこない利用者に、時々声をかける。
「富山県の名産ってなんでしたっけ?」すると、『ホタルイカ』とかボソッと答えてくれたりする。
「すごーい!さすがぁ!」って拍手する。
そんなことを繰り返しているうちに、いつの間にか参加していたり。

一人ひとりにどれだけ合わせられるか。どれだけ気付きと臨機応変ができるのか。
毎日がパレードである必要はないし、どんちゃん騒ぎする必要はない。

しかし、そのデイサービスに通うことが楽しいという気持ちにさせられなければ、プロとして失格なのだ。

ただそこに居るだけで、食事して風呂に入って帰るだけ。
そんなデイサービスがあっていいわけがない。

人手不足?忙しい?

知らんがな!

仕事は常に忙しいもので、それが給料になる。

人手不足が配置基準を下回っているのなら、職員数に合わせて定員を減らせばいい。

忙しいのが嫌なら辞めればいい。

なんだかんだ言っても、まだ高齢者人口は増える。
↑↑マーケットが広がるということ。

働く者もそうだが、雇う側もそれを認識して、勝ち残りをかけてよいサービス提供を行えばいい。

それができなくてもいい。
それができるところが喜ぶだけだから。


人材も同じだ。
ちゃんと育成しなくていい。
育成するところが採用するから。


できないことを言い訳にしてればいいさ。


勝つところは勝つんだから。


そんな感じ。

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