見出し画像

20190509 『シについて思フ』

#死 #交通事故 #大津

何故だろう。
だからTVは嫌なんだ。
ニュースは本当に
絶えず負の感情を撒き散らしてくる。

聞きたくない。

特段、
幼い命や、希望の未来ある人の死は例え他人でも、
涙というか
嗚咽感というか
胸がグッとなって…

その上、
「代わってあげられるなら」と、
なんて他人事過ぎる感情と、
偽善者ぶった投稿をしたくなる。

世界では何万人もの命が一瞬のうちに消えて行くのに。

知っているから
のうのうと生きてる自分や
モラルない人間(僕の独善的正義感)の存在に腹がたつ。

この事件は長く報道されるだろう。
滋賀の交通事情がより一層警戒視される事は間違いない。

保育園等の子どもを預かる場だって
「子ども達への安全性が…」とか言い出すに決まっている。

子ども達を檻に入れるワケにも如何ないだろう。

自分が病を患っているからこそ思う。
車の運転は本当に危ない。
包丁を持って行列の中を歩いているのと同じだと思う。

日本の経済は自動車産業によって支えられて来たから
道路交通法は緩い。
保険会社の規約も今の時代に沿っていない。

日本は戦争で人が死んでるのではなくて
自動車の事故で人が死んでいると言っても過言ではない筈。

冒頭の話に戻る。

なぜ、こんなに僕は『死を羨んでいる』のだろうか。
どんなに怪我をしたって、事故に合ったって
『死ねない』

この中途半端な身体になる前からだ。
中学一年の一月からだ。

今日も両親がケンカをした。

母はいつも僕の前では気を使ってくれているが、
もう、我慢の限界だったのだろう。
頭を冷やしに行ったのが分かった。

父も何もしてない訳じゃない。
ただ、母には何も見えないのだ。
だからと言って、父を擁護するつもりもない。
安酒に変えているが、飲んでいる事に変わり無く、
四半世紀続いた習慣は変えられないのだろう。

『もう嫌だ』

そんな感情が昇った時に
亀井の逆転タイムリー。

またしても野球に救われた。

ただ、心に残る緊張は
今もまだ残ってて、
思い出すと軀が抗張る。

家から出て数時間。
何処の家庭でも有り得る事。

それが昔から耐えられなかった。

ただ、それだけの事。

『幼い僕』が心の中に在て、
彼が時々泣き出すのだ。

彼をあやす方法はあるのだろうか。
今日は半泣きで済んだように思うけど、
この後、期限を損ねないだろうか?
眠るのが怕い。

明日の朝、
僕は生きている。
軀が動く事に喜びを感じ、
絶望するのだろうな。

R,I,P
今日大津市の事故で亡くなった命に鎮魂の祈りを。
そして
まだ生きれる命に
命の詩を。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?