松尾理論の問題点(その3)…資本Gにお金はまわさない

「経済理論」らしき記事を昨年のブログ記事からひっぱってくる企画…松尾匡氏らの「そろそろ左派は<経済>を語ろう」を好意的に紹介した後、問題点を指摘したもので、4回続く3回目です。(記事はブログ記事を若干手直ししています)

 松尾匡「ケインズ」理論への批判…ただしここらへんは、松尾氏が言っていることに対する批判ではなく、言っていないから問題だということ。
 「そろそろ左派は…」本において、北田氏が述べている 

 『資本論』の有名な「G-W-G’」という議論ですね。「G」が貨幣で「W」が商品、「G’」が自己増殖して増えた貨幣だという一般式。(p275)

 あたり。ま、なぜデフレになるか?論のところだ。松尾氏は、ケインズの一般理論の体系と言うのは、

 『雇用、利子および貨幣の一般理論」というタイトルで、叙述の順番もほぼそのとおりなんですけど、「雇用の原因は利子、利子の原因は貨幣」という順番になっています。それで最後の原因は「貨幣」なんだということになるわけです。(p275)

 と展開され、貨幣のもつ「流動性」を選好する…要するにお金で持っていると、資本として使える…そうすると増殖するので、人びとがお金を貯め込むようになる…それが不況・デフレの原因である。この記事 でも似たようなことを書いたが、展開は中途半端だ。その中途半端さは、マルクスにちょっと触れながら、マルクスを全然語っていないことによる。
 貨幣・お金を「資本として使うと、増殖する」のは、労働者を働かせてその剰余価値を搾取するから出来ることである。それがG-W-G’サイクルだ。さらには自分で生産に関与しない、労働者を働かせないで、利子だけ稼ごうとする金融資本が現れる…これはG-G’サイクルである。そして増やすためには、ただ持っているだけではダメで、資本として投下されなければならない…銀行に預金して貸し出す、あるいは株式を購入するといった行為が必要となる。このへんの説明を松尾氏は省いているので、非常に「中途半端」なオモシロくない論になってしまう。

 単に政府部門が需要を創出して「インフレ」にしようとすれば、インフレに対する期待が上がり、将来は貨幣価値が目減りするとみんなが考える…だから人々は「お金」で持っておこうとはせず、モノを買うのでデフレは解消する…とケインズ政策では考えるし、松尾氏もそのように述べている。
 だがケインズ政策、あるいは薔薇マークキャンペーン政策をより「革命的」に捉える、あるいは展開しようとするならば、資本にお金はまわさない…という視点が必要である。この記事のおまけでも書いた通り、G-W-G’あるいはG-G’の最初のGに、お金・通貨を供給しないこと…これが利子を取ることで世界中を暴れまわる資本を規制する一つの方法なのだ。
 需要不足で資本にお金が回らないから、政府部門が需要をつくりましょうというのは、最終的に資本にお金が行くので「規制」にはならないし、資本への「救済策」でもあるのだが、アベノミクスの最初の矢…異次元金融緩和…だけではダメな理由がある。それは中央銀行に国債を引き受けさせて作ったお金は、ほっておけば直接最初のGに回るからである。だから意図的に「人民のために」使わないとアカンのだ。

 加えて、富裕層から搾取・収奪する政策が大切なのは、富裕層がお金を持っていると、スグに投資・投機にお金が回る…直接最初のGにお金が回ってしまう。だから富裕層から「お金」を取り上げ、民衆のあいだで回すようにすることが必要となる。これは文字通り階級闘争である。

 松尾氏にはそういう視点がないので、マルクスの説明が中途半端となってしまうのである。本書のページ数等も含めた限界なのだろうが、せっかくG-W-G’式がでてきたのであれば、G-G’式も出して、生産もなにもせず利子だけ求める金融資本が基軸になっている社会を問題視し、それをぶっ飛ばす政策として(たとえ息継ぎ政策であったとしても)ケインズや薔薇マークを打ち出さないとアカンのである。

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