松尾理論の問題点(その4)…未来社会はどうする

 「経済理論」らしき記事を昨年のブログ記事からひっぱってくる企画…松尾匡氏らの「そろそろ左派は<経済>を語ろう」を好意的に紹介した後、問題点を指摘したもので、最終回です。(記事はブログ記事を若干手直ししています)

「そろそろ左派は…」本批判の最後。そろそろこの本とのおつきあいも一段落させたい。彼の未来社会への変革は、漸進的なものであると考えているようだ。

 だから、どっかでカタストロフが起こって、それで劇的に社会システムが変わるっていうのではなくて、目の前で、そういう次の社会システムにつながるような、階級的な抑圧関係のないような生産関係をつくっていきましょう、っていう話になると思うんです。最近、マルクスの展望した将来社会は「アソシエーション」と呼ぶのが流行っていますが、まずは草の根から、地べたの個々人の手の届く範囲から、アソシエーション的人間関係をつくっていくということです。
 具体的には、従業者や利用者に主権がある協同組合なり民主的なNPOなりのつながりあいが発展していくとか、あるいは普通の資本主義関係の中でも、労働組合とかが発言力を強めていって階級的な支配関係を変えていくっていうね。そんな感じの、日頃の日常の生産のあり方を身の回りから変えていく取り組みが拡がって言って…っていうイメージの社会変革論なんです。資本主義体制を根本的に変える上部構造の革命は、100年後か200年後か、土台の変革が十分成熟したあとにくるという展望になります。(p282)

 ケインズ政策によって、資本主義の成長が需要・供給の差がありつつもダラダラと続く…そんなイメージでおれば、上記のような「革命論」になるのもやむを得ない…革命は、我が身が生きている間には起こらない(だろう)…サンダースにしろ、オカシオ・コルテスにしろ、コービンにしろそう考えているだろう。薔薇マークキャンペーン に賛同する左派の皆さんの多くもそうだろう…60~70年代に「自分の目の黒いうちに革命やるんだ!」と決意して、革命的なんちゃら同盟ほにゃらら派なんぞに結集した方々とは違うわけだ。
 だから、革命的なんちゃら同盟的な方が「松尾匡は革命を彼岸に追い払っている!」と批判・非難することはやむを得ないにしろ、おそらく批判は交錯しない。
 それはともかく…これまで述べてきたとおり、ケインズ政策によって資本主義・帝国主義の矛盾は解決されない(だからヒトラーは「ケインズ政策」をやりつつ、世界大戦に突入した)し、リーマンショックのような金融危機も防げない。だから「斬新的」に進む準備をしつつも、急進革命の準備はしておかなければならない。はやい話が「アソシエーション(あえてこの言葉を使う)」を準備しつつある組織…NPOだろうが労働組合だろうが協同組合だろうが…は、階級的な支配関係を変えていきながら、生産・管理を自らの手で行っていかなければならないし、その準備をしておかなkればならない。なぜなら危機で資本主義がクラッシュした時、現世界で生産をつかさどっている「ハズ」の資本家どもは、逃亡するからだ。

 一方、松尾氏はこうも述べている。
 でも、不況下だと仮にそういう労働者協同組合みたいなものができたとしても、経営が苦しくなって簡単に「ブラック協同組合」になってしまうんですよ。だから、社会を変えていくといっても、やっぱりまず目の前の不況をなんとかするということを考えなければいけないと思います。

 この「ブラック協同組合」(労働条件等が悪質な企業・経営とかを「ブラックなんとか…」と表現することの是非はさておき)の話は、本当にシャレにならない。(生産)協同組合運動をやっても、運営が民主的でなく、かつそこで働く人がだれも幸せにならない…こんなのが「左派」が運営するヤツでもちょこちょこみられて破綻する、信用も無くすってのが、本当にある。「協同組合」が生き延びるためには、国・行政からお金を引っ張ってこなければならないことも多々あって、そのための財源は「ケインズ政策」で引っ張って来るしかないわけだ。

以上、松尾匡流・息継ぎ政策の紹介と批判は終わり!

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