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国東半島が生んだ名刀匠・紀行平(きのゆきひら)

たたら製鉄の勉強で、紀行平の足跡を辿る講演を聞きに行った。

豊後刀という系統の日本刀は、大分市高田町で作られたものが大半を占める。国東半島をバックグラウンドを持つ刀匠もいて、有名なのが紀行平(きのゆきひら)だ。

年代で言うと平安末期〜鎌倉時代前期で、後鳥羽上皇の御番鍛治を務めたという腕前だ。

行平の出身地である国東半島は、当時国教と言っても過言ではないくらいに隆盛を極めた天台仏教のメッカだ。そして神仏習合の地。

行平の父、定秀は香々地町の夷谷にある天台宗寺院霊仙寺の学頭であったという。(英彦山で学頭だった、行平の実父ではないなど諸説ある。)その父も、また刀鍛治でもあった。

寺院は教育機関でもあったし、特殊な技術の習得の場でもあった。

仏教都市でありながらも、国東半島28筋の谷には石工や鍛冶屋などの職能集団も寺院コミュニティの中で共に暮らしていた。工業都市でもあったようだ。

仏教を祀りながらも、せっせと人を殺す武器を作る背景には習合されている八幡神の存在が大きい。なぜなら、八幡神は戦いの神だからだ。

武器を作る必要性があったから八幡神を祀ったのか、順序はよく分からない。

ただ、はっきりしているのは武器を作る技術も八幡神信仰も海を渡ってもたらされたということ。

(宇佐神宮の周辺には、辛嶋氏などに代表される大陸から渡ってきた豪族の地名や姓が残っている。)

国東には、行平にゆかりが深い地名に鬼籠(きこ)という場所がある。

「鬼が籠る」

火と砂鉄と炭から刀を生み出す技術は、錬金術とは言わないまでも神がかりのようにも映ったことだろう。そして、刀を打つには大変な根気体力が伴う。

炎のそばで作業し続けることで、肌も赤く焼けただろう。

そんな力を持つ人達のことを恐れ敬い「鬼」と呼んだのだろう。

国東半島では、鬼は悪鬼ではなく祖先の魂と神仏が融合した存在でとても大切にされている。修正鬼会をはじめ、火祭りが多いことも製鉄に由来するものだろう。

これらの祭りに実際に参加してみると、そうであっただろうと体感的にしっくりくる。

威勢よく火の粉を振りまき、魔を払い無病息災を願う。

鬼、炎、石造物、仏教、八幡神、大陸文化、平家落人、、、

国東半島に散らばる重要なキーワードが「製鉄」で全て繋がりそうで、ワクワクする。

地域にある遺構や文献でも調べてはいきたいと思うが、何より体感することで知り得たいと思う。

なので、たたら製鉄の操業実験も根気よく続けていきたい。




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