交差したあの時間から
若い俳優さんの訃報に触れて、想いがいっぱいになって久しぶりにアウトプットしたくなった。
今から十数年前、前職(映画の美術スタッフ)で彼の出演する映画二本に立て続けて参加したことがあった。
1本は『恋空』という青春ラブストーリーで、全編の7割ほどを大分県で撮影した。もう1本は『奈緒子』という、駅伝に賭ける若者達のこれまた青春ストーリー。ほぼ全編を壱岐と長崎市内で撮影した。2本通して半年近く九州でロケをして過ごした年だった。
彼はまだ17才かそこらだが、事務所が本腰を入れて売り出し始めていた時期だった。シャイでまだまだ少年ぽくて、とにかく真面目で可愛かった。
なので、その作品から随分と時間が経って彼が大人の男性として俳優として成長している姿を遠い親戚のおばちゃんのような気持ちで眺めていた。
そして、訃報を聞いてからは
遠い所で、今も元気に生きながらえている自分がとても不思議だった。
『恋空』のロケで初めて訪れた大分に何となく親近感は覚えたが、まさか十数年後に移住して結婚までするとは当時は夢にも思わなかった。
数年前に過労で心身ともに追い詰められた時、
「映画とは結婚も心中できない。私は私の生命が大事だ!」という選択をして、今に至る。
代わりがきくスタッフと、存在そのものが商品の俳優では責任の重さは全く違う。(特に売れっ子俳優であれば2〜3年先のスケジュールまで決まっていたりする。もし予定をキャンセルすれば数億円規模の損失になる。)
エンターテインメントの世界こそ究極の自己責任だ。
自分の生命を守れるのは自分だけ。
誰も守ってくれない。
それでも「やーめた!!リセットして生きなおします!」そんなことをもし無責任に彼が言えたなら、、、
彼と一緒に現場で仕事をした半年間、あの時から今までどの位違う道のりを歩んだのだろう。
違う道のりを歩むことを選んだのは他ならぬ自分だけど、歩むことを周囲から許されたというのもまた事実だ。
「だから、私は生きている。」
ということを強く噛みしめた。
結果として彼は、私よりもっともっと遠い所に行くという選択をした。
どうか今、彼の魂が自由でありますように。
恋空の劇中で、図書室の黒板にポツンと書かれた「君は幸せでしたか?」というメッセージを思い出した。
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