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見つかると言った犬は見つかるが、不思議はそのことではないのです。(未来を言うの続き)

pixbayのa_roeslerさんの写真に文字を乗せたもの

 本日、それで犬が見つかるとか見つからないとかは事前に言えるのかを書こうとすると、いつも持ち歩いている筆記用具を忘れて来てしまったらしく、ポシェットの中にも鞄の中にも無い。
 万年筆トリオが傍にいないだけでこんなに心細いのだから、忘れ物には気を付けて、必需品はよく確認してから出掛けましょう。

 鞄さんにはこの、水色のペン。
 犬が見つかるか見つからないかを事前に言うことは、今のところは出来ている。
 事前に言った通りになっている。

 本当に、筆記用具がないと自分のためにすら考えられない。
 事前に言った通りになっているということは、「見つかる。」と言った犬は見つかって「見つからない。」と言った犬は見つからない。
 これは?自分はどうやってこんな、確率の問題もあるだろうけれど、その、これを言おうとしているときのわたしの頭の中で起こっていることが、ああ、これが本当に意味のあること(動作)だったらばいいのに。
 ただの思い付きだとか、その場の流れで言ったのなら、ただの強運。神から選ばれたとかね。
 楽しそうね。だけど、そうなのか、そうではないのか、自分でも分からない。
 しかしこのサイクルは起こるのです。
 誰かが悩む。未来を覗きたがる。親しい人にたずねる。質問について、真面目に考えたり、勘を働かせている人が、この世にどのくらいいるものか、わたしにはわからない。けれど、こうなるんだろうなと何となく感じているということは、誰にもあるでしょう。
 わたしはそこの部分の追求について、そこの補足をしようとして脳が繰り広げている謎の情報のような、見ても憶えてもいないものを思い出させたり、人間の脳はそのような謎のことをするでしょう。
 それが、こじつけなどしなくても現実と一緒に動いている場合もある。

 この辺は大変慎重になる話ですね。正解率よりも、そのようなときに明確な感じがしているかということが気になるのだから、無駄に吹聴するよりも、似たようなことが起こった経験はございませんかと言っているわけですね。

 どんな動きをするのかというと

つづく
(未来を言おうとしているときの頭の中の動きを説明しようとしています。)

難しいです……。