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未来を思い描き天の采配を信頼する、そして「今」に集中し「光」を見続けること

「引き寄せの法則」などでも言われますよね。
「自分の引き寄せたい未来はできるだけ詳細に思い描く。それだけでなく『ビジョンボード』など可視化できるようにするとよい」。
そのあと本来は「執着を捨てて、実現までの道のりは天の采配に任せる」のが本筋なのだそうですが。

私の場合。
ついやってしまう失敗が「ディテールまで思い描いておいて、それを都度都度思い出して予実管理(予定どおり進んでいるかチェックする)してしまう」というもの。それで、こちらの希望どおりに事が進んでいないと、諦めたり落ち込んだりしまうと(「ザ・シークレット」の中でも、せっかく地上に伸びようとしていた芽が、逆回しで引っ込んでいく、ってカットがありましたよね、まさにそれ)。要は「天の采配を全く信頼していない」ってことを、ずっと続けてきたのですね。

なんでそうなったのか。
ひとつには、幼い頃に「親に対してダダをこねれば願いは叶う」ことをして味を占めてしまったからからだと思うのですが、もうひとつ、今にして思うのは「現実の世界で願いが叶わないものは、空想の世界でひととおり願望を達成させておいて、それで満足する」癖がついてしまったからだということです。
その過程で、ACIM流に言えば「自分のエゴを自分で満たす」術を身につけてしまい、現実世界については何の期待もしなくなったのでしょう。ただ流れるように、怖れあるいは欠乏を満たさんが為に世に処してきた人生だったわけですよ。自分の想像の中で完結するのであれば、自分は何もしなくてよかったわけですし。
かたや、自分の好奇心と欠乏欲と虚栄心を満たそうとして、自らの金融的信用を見境もなく使い果たし、ついに破綻させてしまったりもしました。これは、エゴを増殖させるに任せて、首が回らなくなるまで放置してしまった結果だと思っています。

何度かの「鬱だ氏のう」に際して内面を見直すことを繰り返したおかげで、いくらかは成長してきたのだと思いますが、2019年の今、また「鬱だ氏のう」に陥ったってことは、「まだケリを付けなきゃいかんことがあるのか」と、最初は暗澹たる気持ちになりました。

が、あるものはあるんですから、向き合わなければいけません。

今(2019年8月初頭)の時点で言えること。
「自分は自分のことを、何も解ってはいなかった。何も解っていなかったから、外界に映るあれやこれやにしがみつかざるを得なかった。自分のまわりをエゴで塗り固め、そのエゴに暴走させ、何度も事故(鬱だ氏のう)を起こしてきた。それを直す/治すために様々な手を尽くしたが、僅かに光(本来の自分の姿、持ち味、使命など)を見ただけで、本気でエゴを手放して自分の光を世に放とうとはしてこなかった」

スピリチュアリティの探究はあれこれ続けてきましたよ。
前にも書きましたが、本棚の大半がスピ本で埋まるぐらい、読み漁りましたよ。
でも、読んだだけでしたよ。意味、多分判っていませんでしたよ。
ましてや、自分の内心に本気で適用するまでは至っていませんでしたよ。

未来を思い描けという。
ゴールさえ思い描いておけば、あとは天に任せなさいという。
それを信じていませんでした。エゴにPDCA(Plan-Do-See-Check)させまくりでしたよ。
そのPDCAどおりに進まなければ、「ほら、やっぱりダメなんじゃないか。手近に手に入る(ホンモノかどうかも判らないし、自分の本質に合うかどうかも判らない)間に合わせのモノで済ませるしかないや」。

こうやって生きてきたんですよ。

しかし今回の「鬱だ氏のう」に入る直前には、今までとは違う「声」が聞こえて来たのです。

「もう我慢しなくていい。今のステージは終わりだからとにかく止まれ。そして、次のステージに円滑に進むため、今はとにかく休め」

その後、特にACIMに取り組み始めてから得たメッセージやひらめきを付け加えますと.......

「自分の本来の姿を求め続けろ。まとわりついたエゴと日々向き合って手放していけ。そうすれば、自分の本来の姿、成し遂げたいこと、どんな世界に囲まれて生きたいか、十分に思い描けるようになる」
「いいか、途中のプロセスは考えるな。そこはこっち(天)の方で差配するから、とにかく任せなさい。今に集中しろ」

もうすぐ51歳だぞ、もう遅すぎるって声も、私の頭の中ではチラチラ飛び交います。スピリチュアルよりも考えなきゃいけないことが山ほどあるだろと、数々のエゴの声が喧しく呼びかけてくることもあります。
もっと言えば、世の「成功した作家、スピリチュアルリーダー」たちの多くは、もっと若くして自らの地位を確立し、今は物心両面満たされた日々を送っています。「何を今さらオマエごときが」って声も聞こえます。

でもね、一々具体的にお名前は挙げませんが、40代後半から50代にかけて、スピリチュアルなメッセンジャーとして世に出てきた人もいるわけですよ。
そもそもを言えば、「メッセンジャーとして世に出るには年齢制限なんてないし、自分がその使命を自覚した時点でデビュー」なんですから。

閑話休題。

自分に纏わり付いたエゴの厚い壁、それにもひび割れた隙間があります。
そこから漏れ出はじめた(最初は2007年頃だと思います)「メッセンジャー、目覚めを促す人、癒しを与える人」などの光を信じて、今まで何とか生き延びてきました。

その光を信じ続け、見続けること。
エゴの壁を取り払うにつれ眩しく輝くその光を受け止め愛すること。
その光自身になること。

自分と関わる全ての存在に光を見ること。
それらの目覚めを促し、輝きを愛すること。

そして、今は混沌としている(最後の悪あがきとも見える)世界を、新しい夜明けに導く一助となること。

すべては自分から、永遠に続く「今、ここ」の繰り返しから始まります。

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