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聖書

小学生の時、カブスカウトに入ったときもらったもの。それ以来ずーっと持っていますが、中身はほとんど読んだことがありません。

特に、キリスト教に入信したわけでもないし。
カブスカウトの集会で教会で使うだけでしたし。

でもなぜか、まだ手元にあります。

大人になった私は、様々なスピリチュアル本をかじるようになり、「神対(神との対話)シリーズ」を読破、さらに「ACIM(奇跡講座/奇跡のコース)」を独学するようになっています。

神対もACIMもキリスト教の世界観とか語彙とかで編まれたものですが、特定の神や宗派への入信を強制していません。
神対に至っては「唯一正しい道というものはない。これ(神対)とて、多くの中のひとつの道に過ぎない」とまで言い切っています。

ノンデュアリティ(非二元性;世界はひとつであり、自分も他者もない。自他に分かれて見えるのは幻想である)は、おそらく様々な宗教がそれぞれの形で表現していると思いますが、伝え方が違うだけで、どの道を進んでもたどり着く先は同じなのでしょう。

教会や寺院よりも神社に親しみを持つ私ですが、きっとあの世では、様々な道や教えを経てきた魂たちと出会ったり再会したりするのでしょう。

この世を去るときまで、この聖書は「少なくとも手放すことなく持っている」と思います。

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