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「鬱だ氏のう」っていうけどさ、実際どういう状態なのよオマエは【後日の変化加除訂正あり】

取りあえず目が覚めるが、何もしたくない。
このままずっと何もせずじっとしていたい。

ほら以前、「布団の中から出たくない」って曲があったじゃないですか。
悪いけどあんなもんじゃない。アレの何百倍もの「サイアク」感ですよ。
いくらコウペンちゃんに「起きれたね、えらい!」と肯定されても、全く効き目はない。
できることなら、ずっと朝なんて、新しい一日なんて来ないでほしい。
そういう気分を重々しく引きずったまま、それでも何もしないわけにはいかないから、諸々(トイレとか朝一杯のコーヒーとか)をこなすわけですよ。

まあ腹も減るからメシぐらいは作りますよ。
できたらこれもやらずに済ませたい。
でも何も食わないわけにもいかないから、何とかあり合わせのもので済ませる。

メシを食ったらネット(ニュースとSNS)ぐらいはチェックする。
しかしそれでおしまい。
いいニュースがあるわけじゃないしね、SNSも他人のリア充っぷりが並んでるだけだしね。見ない方がいいんだろうけども、何もしないでいるのも癪だから。

まだ午前中だが、もう眠気が襲う。
つまりは夜はちゃんと寝れていないってこと。
iPhoneに仕込んだ睡眠アプリで「安眠度」なんて測ってくれるんだけど、6時間から8時間寝れてるし、睡眠度も60〜80%台を叩き出してくれるのな。
でも冒頭に書いたように、寝起きは全然よくない。起きて「あぁ疲れたなあ、また寝たいなあ」と感じることはよくある。

それに最近は、なぜか夢をよく見る(別記事に記したとおりです)。
夜だけじゃなく、昼寝決め込むときもそうなのよ。
夢の役割っていろいろいわれてるけど、今の「鬱だ氏のう」なオレにとってはどうなんだろう? 頭の中を整理したり浄化したりしてくれてるのかな?

何かをしようとする。
気分を変えたいと、部屋の模様替えなんかしてみようかなと思い立つ。
何をどこに動かして、そしたら住み心地はどう変わるかなとかシミュレーションしてみる。
そのうち面倒くさくなる。やる気が失せる。(この件追記あり)

テレビもロクな番組ねえし(個人的には、テレ東とBSの報道系番組、NHKの歴史やドキュメンタリーものは番組表チェックして録画して見てますが)、本でも読むかと手に取るけど、集中力はまあ1時間持ちませんね。眠たくなりますね。
1時間読書して、30分から1時間(下手したらそれ以上)居眠りする。それを繰り返していれば、当然夜ちゃんと寝られるはずがない。処方された眠剤飲んでもなかなか寝付けない。

こんな状態を日々繰り返してみなさいな。
こういうメンタリティに陥りますよ。

何もしなかった、何かを先延ばしにした自分を内心で責めまくる。
「鬱だ氏のう」に陥るまでは、思いついたことは必ず期限を決めてやり切る、いや、期限よりも先に済ませてしまうって生活が習い性になった人ならなおさらそうでしょう。

「ああ、今日も何もできなかった」「医者から元気回復のためには**をしなさいって言われてたけど、何もできなかった」「結局自宅とコンビニの往復だけで終わっちゃうな」「ああダメだなオレ」

「何もまともなことができてないオレは、人並みの楽しみを望んじゃいけないんだ」「人並みに働けないオレは贅沢もできないし、まともな収入も得られないんだ」「こんなメンタルで街ん中歩けないよ」「いや、世の中の人間はオレのダメなメンタルを見抜いてるに違いないんだ」「だったらなおのこと外に出られないじゃないのよ」

思いつく限りの、自分自身に対する罵詈雑言や罪悪感を煽る言葉が(自覚できる/できないにかかわらず)頭の中を埋め尽くし、身体の調子を崩していく。それが過激になると「氏のう」ではなくホントに「死のう」になる。

あのね。
メンタル系の病気って、医者が処方する薬を飲んでりゃ治る代物じゃないんです。心(思考回路)の問題ですから、それ自体に向き合っていかなければならないんです。

よって、やるべきこと(そして今自分がチマチマながらも続けていること)は、自分の心の動き、内面の言葉(特に、ネガティビティや自分への不満足感などを量産する部分)を自覚すること。そして地道に矯正していくこと。
人によっては生まれてこの方何十年もやってきたことですから、んなもん一朝一夕で終わる作業ではありません。

また、自分の頭の中ではなんとか整理が付いたとしても、こんどは実世界との「闘い」に挑まねばなりません。
正直、私は「自宅療養での内省←→実世界での闘い」をここ十数年繰り返しており、未だに「勝ち」が見えておりません(というか、本気で内省を行えてなかったか)。
この歳にしてまたリングサイドに引っ込むことになるって、もう何回目だよいい加減にしてくれよと、この点でも自分を責め続ける日々。

ただ今回、自分の気質(HSP内向型と推察されます)が、病気というよりはもう生まれついてのものなので「治す、矯正する」対象ではないのかもしれないというヒントは得られました。
だとすれば、この気質を活かしてできること、この気質に合った働き方、この気質だからこそ世の中に提供できる価値って何だろうか、そういうベクトルへ進んだ方が、自分にとっても社会にとっても幸せなのではないか。

自分の内面の先天的なところと後天的なところを切り分ける。
前者については受け入れるしかない(世間が押しつける理想像とやらは断固拒否するべき)が、後者についてはできることがないだろうか。

「自分で自分を育て直す」ことが必要なのかもしれません。


(追記)ついに模様替えを決行。ひとまず居室からはものを減らして(後日実家に押し込む予定)、今までふさいであった南側の「採光兼通気窓」を解放してみたら、昼間の居心地が向上しました。


これでカーテンでもあれば完璧だったんですが、賃貸のワンルームマンションなので、派手に改造できません。夜はこんなになっちゃいます。

まあ、ここに長居するつもりはないので、寝入りの際のアイマスクでしのいでおります。

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