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私が東京に「戻りたい」と感じている理由は、もしかしたら「精神年齢の進行」と「次の進化の促進」に関係があるのかもしれない!

ライブ参戦のために「鬱だ氏のう」で体力衰えてるのに、夜行バスで東京弾丸0泊3日ツアーをやっちまった大馬鹿野郎はこちらです(でも、別途ライブレポ書いていますが、ALFEEさんのパフォーマンスから元気と勇気をもらいたかったのと、自分がライブでどれだけ元気を出せるか、確かめてみたかったのもあるのですよね)。

で、それ以外にもこの時期、東京に行っておきたかった理由がありました。
以下、二つの神社にお参りしたくなったのです。

ひとつは明治神宮。

もうひとつは(実は初めてだったのですが)東京大神宮。

それぞれに、それぞれのお願いをしてきたわけですが。

ところで私、生まれたのは京都、育ったのは滋賀という、スペック上は「生粋の関西人」ですが、2001年から2010年までは東京で暮らしています。年齢でいうと、33歳から42歳までの間かな。

そして、今は大阪に暮らしているわけですが、正直に言います。
「(最低限京都、できれば)東京に《帰りたいです》

え、生まれ故郷でもないのに「帰りたい」ってどういうことなの?と、自分でも不思議に思いつつ、それでもこれが正直な思いなんですよね。

確かに、この間に様々な「人生の荒波」を経験しましたし、それに対して何とか状況を改善しようと様々な学び(コミュニケーション・心理・スピリチュアリティ)の場を求めましたし、深い話も心置きなくできる仲間もできました。
こうした、現在の自分の変化や成長につながる「起点」が東京であり、(直近職の日本語教師も含めて)「学びや職の機会が多くある」のも東京なんですよね。

そんなことを考えつつ、友人のツイートがふと目に留まり、その引用リツイートを辿っていくと、

私の35歳といえば2003年、最初の「鬱だ氏のう」。
それから、先述のとおり様々な自己啓発を始めていくのですが、確かに、今から思い返してみれば、35歳の頃の自分はこうでした。

「自分で自分のことがまるで解っていなくて、自分の言ったことが相手にどう影響するかも全然考慮できなくて、自分の本当の弱点(本当に成長させなければいけない部分)が何かも見極められていなかった」

以後、「人生の荒波」による苦しみを少しでも軽くして、何とかこれまでよりも楽に生きようと、多くは孤独に、時には学びの場を求めて暮らしていた......その結果が「精神的成長」として知らないうちに積み上がっていた......それが自分にとっての「東京」です。
自分が「精神的に大人になりつつあるかもしれない、自分を客観視できるようになり始めたかもしれない」という自覚を持てたのは、40歳を過ぎてからですね、お恥ずかしい話ですが。

2011年以降は関西に住んでいますが、東京にいたときほどの「荒波」は経験せずに、つい最近までやってきました。それはきっと、東京に住んでいた間の「精神的な成長」の貯金で、何とかやり過ごせていたからだと思われます。
しかしそれもいよいよ枯渇しはじめたのが、今回の「鬱だ氏のう」なのかなと、自分では考えています。精神面にしても今後の仕事にしても、もっと高いステージを求めなければいけない状況に来たということなのでしょう。

東京に「帰りたい」というのは、単なる自分の郷愁などではなく、この先自分の魂が成し遂げるべき本来の生き方を実現するためには、関西(少なくとも大阪)に留まっていてはいかんぞと、魂レベルで導きが始まっているのかもしれません。
その機が訪れるまで、その機を見たら素早く的確に行動に移せるように、さらに心身魂を整えていきます。

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