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「自己肯定感ってどうやって手に入るの?」(観劇感想 『キャンプ荼毘』/劇団ひとりぼっちのみんな)

 よくきたな🍑

 先月の半ばのことですが、友達が参加している団体の演劇を見に行きました。劇団<ひとりぼっちのみんな>というイカした名前の劇団の、『キャンプ荼毘』という作品なんですが、これがま~~~刺さってですね。観てからしばらく経つんですけどいまだに悶々としているので文字にぶつけました。3000文字ほどお付き合いください。

キャンプ荼毘

 あらすじはこんな感じ。

人生に息詰まる25歳、こじらせ女子達。
黒歴史と化した高校時代の演劇部顧問の死をきっかけに再会した彼女たちの
後悔とトラウマを荼毘に付す演劇を最強メンバーで上演いたします!
公式ページより抜粋)

 この作品の主人公は「高校時代に演劇部に所属しコンクールで良いところまで行って、卒業後に舞台女優として活動するも鳴かず飛ばず、最後に舞台に立ったのは2か月前、年齢=彼氏いない歴のアラサー拗らせ女子」という、なんかもう設定だけで居た堪れなさのあまり死にたくなる感じの子です。これ「演劇」の下りを「小説」とかに替えると自分のことのように思えてくるのでなおさらですね。死にてぇ。

 そして、他の登場人物たちがこれまた死にたさマシマシマシーンで、まず同級生たちは演劇部時代にBL漫画に現を抜かしてマトモに稽古しないような連中で、そんで主人公はそれを注意できなかったのも、注意してロクなことにならなかったのも、どっちもトラウマになってる。

 更にそいつらはどいつもこいつも、主人公の初恋のひとである演劇部顧問とカラダの関係があったりする。主人公だけはそうならなかったのに。しかもなんか後悔してるんだかしてないんだかって感じしてる。主人公はそうなれなかったのに。

 挙句の果てには同級生たちはなんかそれなりに充実した人生を送っていたりする。主人公は限界極めてるのに。あと演劇部顧問の奥さんが主人公よりも年下だったりもする。同級生たちも含めてそうなれなかったのに。

 世知辛い。人生。現代社会の闇。コンプレックス。

 この物語は、そんな死にたくなる感じのキャラクターたちが織りなす、コンプレックスやらトラウマやらマウンティングやらクリエイターとしての意地やら呪いやら、とにかくクリエイターに足を突っ込んでいる人間が真面目に考えると冗談抜きで死にたくなるようなテーマの物語でした。

 なにがすごいって、そんな死にたくなるテーマなのに、それをしっかりと噛み砕いて笑いあり涙ありミュージカルありラップバトルありのエンターテイメントに落とし込み、そして物語としてのひとつの解決に至る(※)という点で、本当に滅茶苦茶ハイクオリティな芸術だったなぁと思います。

※彼女らの問題全てが解決するわけではない。現実とはそういうものだ。

「すげーもん見た」と感動する一方で、やっぱりそもそもが死にたくなるようなテーマなので一緒に見に行った友達(クリエイター)共々魂を引き裂かれた結果酒に溺れて終電を逃しました。

調べたらnoteが出てきた。奇遇!

「アレクサ、自己肯定感が低い人の特徴は?」「それを言い訳にする」

 特に色々と思うところがあったのがこの下りで、思わず「それなーーーーーーーーーーー」っつって立ち上がりそうになった。危ない。追い出されるとこだった。

 本作の主人公は上述の背景もあってマジで自己肯定感低空飛行マンなんですよ。しかもただの低空飛行じゃなくて、一度成功体験(演劇コンテストで良いとこまでいった)を味わったことでクリエイターの呪いに罹患しており、最近パッとしないことに心の底から危機感というかある種の嫌悪感を抱き焦っている。

 彼女は言うんです。それもこれも全部自己肯定感が低いせいで、その自己肯定感が低いのはマトモな青春時代を送れなかったせいで、マトモな青春が送れなかったのはお前ら(同級生たち)のせいだ!!!!

 そこにぶつけられるのがこの強烈なメッセージです。お前そうして足踏みしとるだけやろうがと。確かに彼女の言い分も尤もなのだけど、それでも「どうせ私にはできない」とか言って足踏みしてたのは彼女自身の判断でその帰結だったりするんだ。つらい。

 あと、「自己肯定ってなに!?」って問いかけに対して、「できないことを、できないって認めること!!」って言ってたのもマジで刺さった。わかる。わかる。つらい。

結局自己肯定感ってどうしたら手に入るんだろう

 これは個人的な意見なんですけど、自己肯定の前提には自己定義があると思うんですよ。

 そりゃ他人から「あなたはこれが得意だよね」とか「あなたのここが好き」とか言われたら承認欲求が満たされて自己肯定感に繋がるってのはあるんだけど、それって「肥料をあげたら野菜が大きくなるよ!」みたいな話であってさ。

 種も苗もないところに肥料だけ撒いてもなにも実らないわけで、じゃあそれってなんだって考えると、「僕はこれができる」「これはできない」という定義なんじゃないかなって思うんですよ。自信なんていう大仰なものじゃなくて定義。ある種の自己暗示みたいなそういうもの。

 僕の場合は「小説は書けるけど絵は描けない」とか、「最近流行りの幾何学模様使った動画は作れない」とか。

 勘違いしちゃならないのは、ここでいう「できること」って、別に100点満点のことじゃなくていいんですよ。スキルセット的にできます。やる気があるからできます。好きだからできます。そういう程度の「できる」でも全然良いんですよ。大事なのはそうして定義した「できる」に対してなんらか行動することなので。

 作家ならアウトプットするとかして自分を観測する。そうして自己満足したり他人に褒めてもらえたりしたら、「やっぱ俺できるじゃん天才」とか「まぁこんなもんだよなでもここまではできたからオッケー」とか実感になって、それが自己肯定ポイントになって、だんだんと自己肯定感が積もっていくんじゃないかなと思うんです。行動がないと肯定しようがない。

 あと、「できない」を定義することって諦めるとか可能性を狭めるとかのネガティブなイメージがあるし実際半分はその通りなんだけど、できないことをできないと認めて、それでも良いんだって自分で思うことも立派な肯定だと思うの。ていうか、自己肯定感が高まってくるとできないことも「案外イケんじゃね?」っつって勝手に始めるからね。最初はそこに捨てとけば良いよ。僕だってたまに絵、描くし。

余談。
こういう話してると「私はなにもできないし」とか言い出す人がいるんだけど、心底そう思ってるならそもそも自己肯定感がどうのこうの話題に出すな帰ってパラッパラッパーをやれ。インターネットをやめて家族と会話をしろ。あと、「出来ないことがある」という事実だけで凹むタイプの人はマジでその癖をやめたほうがいい。お前にもできることはある。

だいぶ話がずれた

 演劇の話に戻ろう。

『キャンプ荼毘』の上演自体はもう終わってしまったのだけど、劇団ひとりぼっちのみんなは定期的に公演をしています(名前がイカしてるよね)。

 僕は1年前の「分別盛りたいっ!」を観にいったりもしてまして、あれもマジで大好きだった。この時も死にたくなったけど。毎度終わったあとの飲み会で終電を逃している気がする。

 歌アリ踊りアリ喧嘩アリなんでもありの高貫通性エンターテイメントガトリングで、こちらのトラウマとかコンプレックスとか呪いとかを的確に撃ち抜いてきてこちらに致命傷を与えてくれます。でもそれは決して不快ではなくて、様々な共感や奮起を引き起こしてくれるハイレベルなエンタメ体験です。オススメ。

 公演情報は公式HPをご参照くださいませ。

いじょうだ

 自己肯定感を高めていきましょう、と自分に言い聞かせていきましょう。ちゃお!

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