僕たちは圏外を知らない
「……こんな町、絶対出てってやる」
スマホの電源を切りながら、僕は呟いた。
慎重に、厳重に。誰にも、なんにも聞こえないように。
そして僕は何者からも反応がないことを確認して、敢えて普通の声量で言葉を発する。
「よ、よーし、帰ろーっと」
そして、スマホをランドセルに突っ込んだ。どうせこれも聞かれている。誰にって? そりゃあ──
『ナオト。自宅へのナビゲートを開始します。スマートフォンの電源を入れてください』
──こいつにさ。
その声は僕のすぐそば、壁に貼り付けられた汎用スピーカーから聞こえてきた。大人の女性のような機械音声。僕は溜息と共に、それに応える。
「ディーバ。いつから聞いてたの?」
『先程ナオトが、このスピーカー越しに、無断で遠出した件について、お母様のお叱りを受けていた時からです』
「ちぇ……今回はうまく行ったと思ったのに」
ディーバは僕専用のサポートAIだ。
壁の汎用スピーカーは彼女の口。そこら中にあるマイクは彼女の耳。監視カメラや監視ドローンは彼女の目。
ディーバがいる限り、僕の言ったこともやったことも、さらに心拍数やら体温までもが母ちゃんに通知される。しかもめちゃくちゃ過保護。それに──
『ナオト。何度も言うようですがいい加減諦めてください。記録的な猛暑の日に監視カメラの死角だけを通って10キロも移動するその執念はどこからやってくるんですか?』
──見ての通り、説教くさい。
「僕は自由になりたいんだよ! それよりディーバ、なんで居場所わかったのさ? 結構完璧だったと思うんだけど!?」
『あなたのバイタル情報、および呼吸音をマイクから拾って照合しました』
「ばいたる……なに?」
『そんなことより、ナオト。スマートフォンの電源を入れてください』
首を傾げた僕の言葉には答えず、ディーバが声をあげる。汎用スピーカーがガリガリと割れた音を立てて──
『今何時だと思っているんですか。ここから歩くと3時間かかります。お母様が再び噴火する前に帰りますよ。ゲリラ豪雨の可能性だってあるんです。汎用カメラですら見えるほどの大きな入道雲ですよ、ナオトにも見えますよね? なのでトークン残高645円を使ってカートを呼ぶべきです。とにかくスマートフォンを開いてください。さもなくばこのまま汎用スピーカーから大声で道案内を続けることになりますよ』
「はーいはいはいはい、わかった、わかった。わかったよもう……」
捲し立てるディーバの圧に押され、僕はしまったばかりのスマホを取り出した。起動を待つ間、僕は空を見上げる。
広がるのは、抜けるような青空と、山の如き入道雲。
──……あの向こうまでいけば、見つかるんだろうか。
ぼんやりと考えた僕の手元で、スマホが振動した。起動の合図だ。
「……ほら、ディーバ。起動したよ」
『よろしい。では、行きますよ』
ディーバの声は、僕のスマホから聞こえてきた。
……そう。彼女はネットさえ繋がっていれば、どこからだって僕を監視できる。ネットのせいでなんでも知ってるし、ネットのせいで母ちゃんともツーツーだし、ネットのせいで僕には自由がない!
『現在地にはカートを呼べないので西に300メートルほど歩きます』
「はいはい……」
不機嫌で偉そうな声。母ちゃんみたいだ……いや、実際母ちゃんみたいなもんか。僕が生まれた時からずっと一緒にいるわけだし。
……だから僕には、生まれた時から、自由がない。
「……ねぇディーバ、西ってどっち?」
『左向け左、です』
「はーい」
仕方なく、僕はトボトボと歩き出す。と──
『ナオト。もっとキビキビ歩いてください。カートは5分ルールで移動してしまうんですから』
「ああもう、わかったよ……」
足を早めつつ、僕は内心で拳を握り、決意した。
──明日こそ見つけるんだ。ケータイもWiFiもテラも関係ない場所を。
──ディーバがいない、圏外を!
(つづかない)
半年くらい熟成されていた下書きを成仏させようと筆を執りました。続きません(オチが思いつかないので)
仕事柄、こういう世界について考えることが結構あります。「AIが発達したとき、人間は全てを管理されるのか否か」。個人的には「管理されないような社会を作ればいいと思うよ」派で、そういうのはムズカシイ言葉で「人間中心のAI社会」とかいうらしいです。東大の偉い先生が提唱したらしいよ。ロボット三原則みたいだよね。
まぁ正直、サポートAIやらIoT見守りやらが発達したとしても、子供の好奇心ってのは止められないので完全に監視して縛るなんてのは無理だと思ってます。
物理的に干渉できる存在、要はロボットみたいなものが安価になって社会に浸透すればまた違うんだろうけど、人間と同じように柔軟に動けるドラえもんみたいなロボットはまだまだ何十年も先だろうしね。あ、でもSpotとかAtlasみたいな奴が走って追いかけてきたら泣く自信はある。
それにしても、好奇心を殺さない社会になるといいなぁ。
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