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『クリスチャン・ボルタンスキー Lifetime』に行ってきたよ

 よくきたな🍑

 6月末から国立新美術館で開催中の、クリスチャン・ボルタンスキー展「Lifetime」。遅ればせながら先日行ってきたので、ちょっとその覚書。

Who'sボルタンスキー?

 フランス人作家。現代アートの巨匠。暗闇、電球、写真、衣類、さまざまなものを駆使して、僕らの本能に語りかけてくるような作品を作る方です。

『最後の教室』
廃校一階の廊下を使ったインスタレーション。
奥の光源は強力な電球の光です。
回る換気扇に遮られて明滅する光が滅茶苦茶綺麗です。

 僕がボルタンスキー氏の作品を初めて知ったのは3年前。越後妻有『大地の芸術祭』にて展示されていたインスタレーション『最後の教室』と、そこに連なる数点のインスタレーションたちでした。

 特に印象的だったのは、なんといっても体育館ですね。公式サイトに紹介されています(僕は写真を撮るのが下手すぎて自前のものが用意できませんでした)

 干し草が敷き詰められた真っ暗な体育館。光源は壁に投影された砂嵐(テレビのあれ)と、吊り下げられた小さな電球たちのみ。本当になにも見えないほどの小さな光が、体育館をうっすらと照らしています。

 聞こえてくるのは、電球を揺らすための扇風機の音と、誰かの足音と、干し草の擦れる音だけ。そして鼻をつくのは、体育館を満たす干し草の香りだけ。

 ステージ上に設置されたベンチに座り、視覚と聴覚と嗅覚を作品に預けたまま、時を忘れてひたすら体育館内を眺める。ぼんやりと、じんわりと、心乱されることない贅沢な時間。

 やがて目が慣れてきて全貌が見えるようになってもずっとずっと、揺れる光を見つめていたのを覚えています。今でも大好きな作品です。

大回顧展『Lifetime』

 今回はそのボルタンスキー氏の回顧展ということで、「展示会場をひとつの作品に見せる」というコンセプトのもと、氏の過去の作品たちが展示されていました。

 このインスタレーションの数々の持つパワーがもう凄まじかった。なんたって、『最後の教室』しか知らなかった僕が、彼の歴史やら根底に見え隠れするモノたちを見て居ても立っても居られなくなり、こうして筆を執るほどですよ。エネルギー!

 全体的に薄暗い……というか暗い会場内で、電球の優しい灯りを頼りに作品を見て回るという体験。そうして展示された作品たちは、どれも寂しく、昏く、孤独な雰囲気をまとっています。

 ボルタンスキー氏の作品は、その根底に共通して「死」とか「終焉」というものを持っていると思っているのですが、今回の回顧展ではそれをこれでもかとばかりに表現しています(とはいえ怖いばかりではなく、暗い雰囲気の中にもどこか親やすさがあったりして、受け入れやすい作品たちでした)

 気に入ったものは多々ありまして語り出すとキリがないんですが、この記事では特に印象的だった3作品について語ります。

映像・写真が伝えてくる寂しさと終焉

 序盤は、映像や写真、自画像の類が展示されていました。上述の通り『最後の教室』あたりしか知らなかったので、ボルタンスキー氏の写真作品を観るのは初めてでしたが、これがまぁ凄くて。パワーが。

 なんせ初っ端から飛ばしてたんですよ。「咳をする男」という映像作品なんですが、男性がめちゃくちゃ苦しそうに咳をし、時に血を吐く様を記録した映像。彼はただただ咳を繰り返し、苦しそうにもがき、壁に寄りかかり、血を吐く。それでも彼のもとには誰も助けはこない。とても孤独で悲しい作品でした。

 そこから連なるのはボルタンスキー氏の初期の活動である写真の数々。それらは祭壇めいて積まれたビスケットの箱の上にセットされ、橙色の電球で照らされています。暗い展示室内に広がる、白黒の被写体と優しい電球が織りなす世界。死、終焉、孤独、寂しさ、そういった要素に加えてどこか救いのあるような光景はとても美しく、力強いものでした。

ぼた山、スピリット、そしてあの世の門番

写真で見ると明るいな。肉眼だともっと薄暗かったです。

 ここは撮影可能エリアだったんですが、この黒いの全部衣類なんですよ。『ぼた山』という作品なんですが、いろんな服を黒く塗って積み重ねて、上から照明を当ててあるんです。作品解説に「個々人の個性は消え去り、不定形なかたまりだけが残されている」と記されていて言いえて妙だなと。

 そしてその上に見えるスクリーンは『スピリット』という作品で、過去にボルタンスキー氏が使った題材から想起されたイメージが印刷されているもの。

 この『ぼた山』も『スピリット』も小説家の身の上だと滅茶苦茶心当たりがあって、内心を可視化されたような想いでした。自分の作品が不定形な塊となって残されていたり、これまで書いたキャラクターや世界観が内心にふよふよと浮かんでいたり。

 そしてトドメとばかりに、このインスタレーションが展示されている場所には『発言する』という作品が置かれています。板にコートがかけられただけのミニマルな人形なんですが、スピーカーが内蔵されていて、解説曰く「死後の世界へどうやってたどり着くのか」を問いかけてきます。内容は、

「ねぇ、一瞬だった?」

「ねぇ、吃驚した?」

「ねぇ、悲しかった?」

 ……などなど。10体くらい居るあの世の門番たちはそれぞれに色々な質問をしてきます。それはまるで内心のぼた山やスピリットたちの行き場を決めようとしているかのようでした。このホールがすごく好きだった。結構長時間居た。

干し草の香る銀色の海と、黄昏

 最後は『黄金の海』という作品と、『黄昏』という作品。展示場終盤の作品です。

『黄金の海』は、災害用のブランケット(銀マット)で作られた海の上を、吊るされた橙色電球がゆらゆらと揺れる、というもの。まるで海が月光を反射するかのようにキラキラと形を変えて輝く様は永久に見ていられるような体験でした。『最後の教室』の体育館で感じた、視覚と嗅覚を作品に預けているような感覚。多分次の予定がなかったらずっと見てたと思う。

 そして最後は『黄昏』という作品。これは床にたくさんの電球が置かれているだけのものなんですが、展示初日から日が経つにつれて3つずつ消えていくんですって。僕が見たときは6割くらい残っていた気がします。後になればなるほど、その世界は暗闇が支配していきます。それはまるで、僕がボルタンスキー氏の作品に感じた「死」「終焉」という概念そのもののようで、胸を打たれました。ただ輝いているだけの電球に胸を打たれるとは思いませんでした。

来世へ

これもボルタンスキー氏の作品。

 本展示は、六本木の新国立美術館にて開催されています。9月の頭まで。

 僕が行ったのは日曜だったんですがそんなに大入りって感じでもなく、ゆっくりと見ることができました。多分今がチャンスです。ぜひ。

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普段は小説を書いています。

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