たたた

元パリ住民、現・神奈川県民の30代男子。建築の勉強はしたことがない門外漢ですが建築・橋…

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元パリ住民、現・神奈川県民の30代男子。建築の勉強はしたことがない門外漢ですが建築・橋梁を見て回るのが好き。 見学した建物の記録はブログ https://tate-mono.blogspot.com/ にて整理中。このノートでは建築見学日記をものすごく主観的に綴ってゆきたいです。

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最近の記事

「建築の教育についての講演」を訳して

 先日、翻訳第3作目を出せた。  今回訳したのは、エミール・トレラによる「建築の教育についての講演」だ。今回も、アマゾンで販売している。  アマゾンの販売ページの「内容紹介」欄に書いた文を以下に転載。  この講演を訳していて思ったこと等は、訳文に付けた「訳者あとがき」に大体書くことができたので、以下、それをそのまま転載して本記事を終えたい。これをきっかけに、トレラの講演に興味を持ってお読みいただけたら訳者としてはとてもうれしく思う。なお、この note というメディアでは

    • フランスで警官に職務質問された話

       「うかつだった。」と思ったときにはすでに遅く、3人の警官がまたたく間にわたくしを取り囲んだ。  「ここで何をしている?何を撮ったんだ?」  「建築です。あの、わたくし建築に興味があって、この建物はそれなりに有名な人が設計したものなんですよ。だから写真を撮りました。」  「何を言っているんだ?とりあえず署内で尋問させてもらおうか。」  というわけで図らずもわたくしは、何てかっこいい建築だろう、と感激した建物の中に入ることができたのである。取り調べのため連行される、という形で。

      • 1899年のヴィクトル・オルタ論を翻訳した

         サンデル・ピエロンというベルギーの芸術批評家のオルタ論を訳して、キンドル自費出版で販売した、ということは前回の記事で述べた通り。  前回の記事の予告通り、この記事では訳文に付けた「まえがき」を転載する。ピエロンの記事に関して訳者が読者に申し上げたいことはほぼこの「まえがき」に書き込んだので、それを読めば、ピエロンのテキストがどのようなものか把握していただけるかと思う。それでは、以下転載文。  このたび訳出したのはベルギーの美術評論家サンデル・ピエロンによる記事、「ベルギー

        • Kindle翻訳出版体験記

           前回の翻訳テキストの公開から、はや1年近くが経過してしまった。作業の遅さに我ながらあきれかえってしまうが、先日ようやく、翻訳2作目を出せた。このたびは「ベルギーにおける建築の発展 ――ヴィクトル・オルタ氏」というオルタ論を訳した。著者はベルギーの美術批評家サンデル・ピエロンで、初出は1899年号の『装飾芸術評論』誌である。  書誌やテキストの解説は後述するとして、ここでちょっと、キンドルの自費出版でテキスト(翻訳だけれど)を販売する、ということを初めてやってみて1年近く経

        「建築の教育についての講演」を訳して

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        記事

          ド・ブルケール家の人々

           拙ブログ『TATÉ-MONO』の建築紹介記事として載せるためド・ブルケール邸という建物について調べていたら、建物自体もさることながらこの邸宅の所有者、ド・ブルケール家の人々の来歴も非常に面白かったので、以下にメモすることにした(注1)。  ド・ブルケール邸はオクターヴ・ヴァン・レイセルベルヘとアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデというアール・ヌーヴォー建築の名手が設計した邸宅で、1898年造。ベルギーのブリュッセルにある。施主はフロランス・ド・ブルケールという夫人。ド・ブルケール

          ド・ブルケール家の人々

          レンヌ近郊にアルヴァロ・シザ建築を見に行く

           2018年2月上旬、フランスのサン=ジャック=ド=ラ=ランドという地方都市にアルヴァロ・シザ設計の教会ができた。なので同月の下旬にさっそく行ってきた。  サン=ジャック=ド=ラ=ランドはブルターニュ地方のレンヌ近郊の町。まずはパリ・モンパルナス駅から格安特急列車(Ouigo)に乗ってレンヌへ。早朝便だと格安列車のなかでもさらに安値なので、頑張って早起きして6時台の列車に乗った。パリ、レンヌ間で往復でたしか20ユーロちょっとだったと思う。セ・パ・シ・シェール(やすい)!  パ

          レンヌ近郊にアルヴァロ・シザ建築を見に行く

          ギマールに関する、1899年の雑誌記事を翻訳した

           いまはとても便利な時代で、インターネット・アーカイヴやガリカ(フランス国立図書館のアーカイヴ。重いのでリンクは割愛。)といったサイトで、パブリックドメイン入りした昔のテキストを、日本にいながらにしていくらでも読むことができる。時間に余裕があってちょっとした調べ物をするとき、これらのサイトでキーワード検索をすると、埋もれていた、あるいは単に私が知らなかった細かい情報が次々と出土する。昔の人物に関して、その人物の同時代人がこんな評価を下していたのかとか、この雑誌にこんな人物が寄

          ギマールに関する、1899年の雑誌記事を翻訳した

          新凱旋門と、留学の思い出

           ナンテールの大学院に通っていたころ、電車代の節約も兼ねてよくナンテールからデファンス地区まで、30分くらいかけて歩いて帰った。なぜか行きは歩く意欲が湧かないことが多く、たいてい電車で普通に移動した。  ナンテールからデファンスまで歩くと自然に、新凱旋門(グラン・ダルシュ)に向かって進んでゆく格好になる。この新凱旋門はとてつもなく大きい。幅・奥行き・高さともに100メートル以上あって真ん中が巨大な空洞になっている異様な建築物だ。学校帰りに何度見ても、いつも新鮮な驚嘆の念を抱

          新凱旋門と、留学の思い出

          建築ブログでのささやかな達成感

           自分が見た建物を、 TATÉ-MONO というブログでアーカイブしている。  少し前のはなしだけれど、6月28日に公開したサンタ・マリア・イン・トラステヴェレ寺院の記事をもって、ローマ旅行で写真に収めた建築はおおむね記録することができた。拙ブログの「ローマ」カテゴリには記事が28件含まれているので、ローマの建築を28件紹介したことになる。  ローマを訪れたのは2016年5月末のことなので、ローマの建築見学記録をまとめるだけで4年以上もかかったということだ。ずいぶんと時間を

          建築ブログでのささやかな達成感

          クモとうさぎとネスキオ橋

           アムステルダム東部アイブルフ(Ijburg)の長閑な田舎にかかるネスキオ橋(Nesciobrug)はシルエットの優美な吊り橋で、かつ、橋の両端がふたまたに分かれている面白い造りをしている。そのため橋梁・土木ファンにおすすめな物件なのだけれど、割と辺鄙なところにあるので行きにくい。  アムステルダム観光をした際、私はアイブルフに宿をとっていた。宿からネスキオ橋までは往復5kmもない程度。モーニングジョグをキメれば行ける距離だ。というわけで行ってみた。(なお、ネスキオ橋へのも

          クモとうさぎとネスキオ橋

          名古屋大学豊田講堂と私

           実は、というほどのことでもないのだけれど私は名古屋大学を受験した。関東在住の学生だったので新幹線に乗って単身名古屋に行き、現地で一泊して受験した。  試験前日はいまさら特にすることもなかったので、名古屋に着いてからは会場の下見もかねて名古屋大学の構内をうろついてみた。大学クチコミ本か何かで「名古屋大学は四角い建物がやたらと多い工場みたいなキャンパス」みたいなことが書かれているのを目にしていたので、歩いてみるとたしかにその通りだと思った。最寄りの地下鉄駅から地上に出てすぐ目

          名古屋大学豊田講堂と私

          おいしそうな建築、オールド・イングランド

          乳幼児のお子さんがいる友人宅に招かれてお邪魔したときのこと。「この子、なんでも口にいれちゃって大変なのよ~。」と母が言っているそばからそのお子さんは早速にこやかにキリン(の人形)をほおばっている。 見てるとたしかに、視界に入るあらゆる物体を口に含みかねぬ勢い。乳幼児はこうやって外界の事物を懸命に認識しようとしているのだなあ、と感嘆しました。と同時に、本来、ヒトが物体を認識するに際して、口腔の領域の果たす役割は相当重要なのだろうなあ、とも。だって、どう考えても口に入らんやろ、

          おいしそうな建築、オールド・イングランド

          フェルナン・プイヨンの長椅子(後編)

          フェルナン・プイヨンの経歴を紹介した前編に続きまして、以下の文章は、そのプイヨンの集合住宅事業の総決算にして代表作であるポワン=デュ=ジュール集合住宅を見学してきたときのはなしです。 この集合住宅はブローニュ=ビヤンクール市の、モーター機器製造会社サルムソンの工場跡地に造られたもの。およそ8ヘクタールの土地に2260戸の住宅という、壮大なプロジェクトです。しかし決して大味な空間構成にはなっておらず、南北に分かれた敷地のそれぞれ中央に核となる緑地が置かれ、その周りに大小・高低

          フェルナン・プイヨンの長椅子(後編)

          フェルナン・プイヨンの長椅子(前編)

          建築家の破天荒人生列伝みたいな本があるとしたら、フェルナン・プイヨン(Fernand Pouillon)はそのハイライトを飾るにふさわしい人物だと思います。 1912年、フランス南西部のカンコンという町の生まれ。父が土木公共事業の施工業者であったためか、建築家としてとても早熟で20代初めからすでにいくつかの住宅を建てていました。第二次世界大戦後は、住環境の復旧が急務となっていた社会情勢下で、マルセイユ市を中心に集合住宅をじゃんじゃん設計。オーギュスト・ペレの助手として同市の

          フェルナン・プイヨンの長椅子(前編)

          旧館林市庁舎に会いに行った話

          アナログにも程があるだろという感じなのですが、2016年2月に日本に一時帰国して建築見学をしたとき、わたくしは見たい建築に印を付けたgoogle地図をプリントアウトし、その紙を手にして各地を奔走しておりました。そんな風にして埼玉と群馬の建築を見て回っていたときのこと。 その日は深谷市から旧妻沼町、太田市を経由して館林市に行くという行程。自分の私的用事で実家の車を使うのは気が引けたので、深谷~館林間はすべて自転車で移動しました。わたくしはかつて自転車競技をばりばりやっていたの

          旧館林市庁舎に会いに行った話

          Work in progress. リヨン、ジャン・ヌーヴェルの新作

          2018年10月某日。 おー。できてきた、できてきた。リヨンのジャン・ヌーヴェル建築。 ……ん? ひええええ! 施工の現場で働く方々には、本当に頭が下がる思いです。タイトルは「ジャン・ヌーヴェルの新作」なんてつけてしまいましたが、建築作品は、実際に建てて、築く労働に携わる方々の作品でもあるのだと分かります。そしてさらには、建てられたものを維持管理、修繕する方々の作品であるとも。 わたくしなんぞは建物をごく表面的に見て能天気に「キレイ。」とか言ってるだけの消費者なので、

          Work in progress. リヨン、ジャン・ヌーヴェルの新作