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しゃべっちゃいなよ2022 全文掲載

 渋谷らくご『しゃべっちゃいなよ』が今年も終わった。優勝は桂伸べえさんで、僕は目指していた二連覇を達成することができなかった。
 「全編をささやき声で喋る」という極端なギミック性に全振りしたネタは、さすがに美学を押し出し過ぎていてコンテストで勝ちきることは難しいだろうなと思いながら挑んだ10月予選。それでも予選を通過できたのはこれまで作ってきたネタが後押ししてくれたんだろうと思う。

 そこから本選までの2ヶ月、もちろん最初から負けを意識して挑みたくなんて無いからあれこれ突破口を探しているうちに舞い降りてきた後半の山場。相変わらずネタの構造的に、どうしても声量は小さくせざるを得ないから、ネタとしての圧力が乏しく「勝つネタ」としては心許ないけど、でも「勝てる可能性も余裕である」というくらいまではなんとか当日までに調整できた。

 一番手、伸べえさん。連雀亭や、彼が仲間とやっている新作ネタおろしの会にゲストで呼んでもらったことがあって、その高座は何度か聴いたことがある。フラとワードセンスと雑にラベリングするとヘタウマ路線の独自性と、そういうところが長けていることは知っていた。
 二番手、昇羊さん。昇羊さんの「のれんわけ」も連雀亭で聴いたのか。自身の美学に貫かれたいつものスタイルに加えて、今回のネタは全体的に隙なく磨き抜かれていて、そこにこれまでの彼らしからぬ強めのパンチがいくつか仕込んであって、平日昼の連雀亭環境下でもドカンとウケていたのが印象的で、いいネタだなぁと思った。
 三番手、青森さん。夏頃だったかシブラクで青森さんが一番手、僕が二番手という番組があった。そこが初めての接近遭遇か。高座前の雰囲気から何か企んでいそうだなと思っていたら案の定、扇動的なマクラから、構成をよりドラマチックに振り切った「死神」で、持ち時間を超える熱演といきなりぶちかましてきた。渋谷らくごで若手が一番やるべき高座をガツンとぶつけて来られて、「あぁ、こういうのを受け止める側に自分もなったのか」と思いながら、逆の立場で僕が師匠方や先輩方にやられてきたように、先輩として正面から受け止めつつ客席を自分色に染め変える高座をやろうとして、結果それがちゃんとできたんじゃないかなぁと記憶している(何のネタをやったのかは忘れてしまったけど)。そこから毎月、誰よりも高いモチベーションをキープしながらシブラクの高座に挑んでいたから、今年「楽しみな二つ目賞」を青森さんが受賞されたのは当然の結果と思っていて、というか、本当は僕よりも彼の方が渋谷らくご大賞にふさわしいのだろうとすら思ったり。
 四番手は僕。で、そのあと最後が笑二。当たり前だけどこういうコンテスト系は基本的にあとの出番の方が有利なのは間違いないし、もちろん近くでずっと高座を聴いてきたからその実力も把握しているし、その上で、今回のネタはまだ聴いたことがなかったけど、SNSなんかで流れてきた断片的な感想から察するに、笑二は大本命だろうなぁと事前段階で思っていた。

 自分の出番が終わるまでは、最初から最後までみんなの噺を聴くほど余裕はなかったけど、それでも断片的に聴いていた感じから、全員が終わった時点で自分の体感ではまずはみんな接戦。逆に言ったら自分含めてずば抜けた演者はいなくて。その上できめ細やかにシビアに判断したら、まぁ自分は3位タイくらいの感じだろうなぁという感触だったか。ただ、そのままそう思い込むと勝ち目がないことになるから、そこにこれまでの信用ポイントを加算して、少し自分にゲタを履かせて、まぁ30%くらいは勝算があるかもというくらいの気持ちで結果発表を迎えた(同じネタでも演る人によって届き方が変わるのは演芸の根本と、脳内マクルーハン先生もおっしゃっている)。

 そんなこんなで迎えた結果は、伸べえさんが優勝。異議なし!

「しゃべっちゃいなよ2022」チャンピオン!

 自分で自分を劣勢と見立てていたくせに、もちろん信じていた30%分は悔しくもあって。ただ、それより悔しいというか良くないなと思ったのは、一人になった時に「くそぉ!」と知らないうちに叫びだしてしまうくらいのそんな鋭い悔しさがなかったことで。それはどこかで、そこまで全身全霊で挑めていなかったからに違いなくて。そんな自分と、きちんと悔しがれている後輩とではそもそも上がっていた土俵が違うわけで。

 いつまでも「これからの後輩たち」と同じ土俵に上がっている場合じゃないし、そんな先輩は目障りでしかないと分かるけど、それでも許されるならもう少しだけ自分はこっち側の土俵にいたい。そこにいられる自分でありたい。

(2022年12月15日 書き下ろし)

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