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【緊急時の自己組織化を考える その1】緊急時のチームビルディングは民間だからこそ必要

緊急時のチームビルディングは民間だからこそ必要

私たち市民は、発災時に命令系統がしっかりした自己完結の組織にいるわけではありません。むしろ、災害に巻き込まれて居合わせたもの同士で自発的に力を合わせる以外にありません。そのためにもアドホックなチーム作りが必要なはずです。

チームというと協力関係ばかり強調されます。それは確かに大前提なのですが、だからこそ協力関係を活かすために必要な考え方があります。それは「指揮」、つまり情報の流れと責任の取り方そしてそのルールです。これは心理的安全性をともなう協力関係の確立に必要なことですが、字面に感情的なわだかまりがある所為か誤解されがちな点です。「指揮」はけっしてマウントをとることでも誰かに盲目的に従うことでもありません。むしろそのような感情的なトラブルを避けるためにも指揮のルールが必要なのです。

空気に負け、そして今も負けつつある

日本人は得てして「空気」に頼りがちだと批判されます。先の大戦の発端も敗北の原因も、合理的な判断を忌避し、だれも責任から逃げ、情報が行き渡らず、無統制な「空気」に原因があると山本七平が喝破しましたが、もしこれが妥当な観点であるなら、本当の意味で未だに日本人は反省していないように見受けられます。政治から町内会、あるいは企業の役員会議から市民の自発的な様々な活動に至るまで、同じことを繰り返しているからです。

さて、臨機応変な体制作りという話題から10年ほど前にアメリカのICSに注目が集まりちょっとしたブームになりました。その後、十分に普及する前にブームが去り、ICSは古い、日本に合わないという空気が蔓延しているように見受けられます。実際はどうなのでしょうか?

たしかにICSにはかっちり決まったアメリカ流の文書主義があり、大規模になったときの一見複雑な体制づくりが目に入り、一見繁文縟礼に見えるためか、そこで嫌気がさす向きはわからなくもありません。もちろん、海外の事例であり徹頭徹尾日本に合うわけではないのは当然ですが、だからこそもっと研究してしかるべきなのです。

指揮統制は民主主義の知恵

さて最初の話題に戻り、大規模な災害に巻き込まれたことを考えてみましょう。あなたの前には所属も能力も嗜好もバラバラな一般の市民が何人か居合わせることになります。あなたはその市民の一員、ないしは消防団や企業に所属し、発災時に出動を決意したものの、肝心の集合場所も指揮命令系統もなく途方に暮れているかもしれません。しかし、眼前にはがれきに埋もれたけが人や迷子になった子供たちがいるはず。その時来る当てもない、上司やしかるべき権威のある機関からの指示が来ないからと言って、漫然と過ごしていいものでしょうか?「指揮統制は全体主義的で暗いイメージだから嫌い」といいながら、実は上からの指示に依存しきってきた自分に気づくはずです。

もし居合わせた市民が、自分にスイッチを入れて、協力し合うことを決意したなら、バラバラに動くよりもチームをつくることが最良の選択になります。ただし、最前指摘したようにルールや明示的なコミュニケーション無しに始めれば、感情的なマウントや理不尽な押し付け合いや排除、デマに右往左往するといった混乱を生みます。

自発的に約束事を確認して力を合わせる。これは民主主義の基本であることは言うまでもありません。ICSなどのチーム作りの基本は合意形成とその約束事を明確に意識することにあります。指揮統制とは全員が約束事を相互に確認し協力し合うための最低限の仕組みなのです。その点が日本では大きく誤解されています。

日本人は優秀?

アメリカやヨーロッパに限らず、韓国や台湾、タイやインドネシアなど様々な国々が、ICSに啓発された議論をもとに、市民となんらかのルールやノウハウをを共有するという施策を打ち出しています。しかし何故か日本だけすっぽりと抜け落ちているのです。今や世界標準といってもよく、舶来信仰だという批判は単なる不見識にすぎません。

また日本人は個人個人が優秀だから形式的な縛りは要らないんだというナラティブをよく聞きますが、これは単なる心象であり思い上がりに過ぎないのではないでしょうか。∵歴史が痛いほど証明しているからです。だからと言って、別に卑下する必要もありません。思い込みから卒業し、必要なことをちゃんと分析し対策すればいいのです。

「空気」に支配され余裕のない思い込みに陥り互いに苦しめ合い不合理なやり方で犠牲になることが美しい努力だと勘違い。こういった因習を断ち切るためにも、そして本当に民主的な協力関係を築くためにも、一旦は視野を広げて海外の発想に学んでみてはいかがでしょうか?

次回は、ICSの「現場主義」「即製」「ボトムアップ」という点に着目して、参考にできる点を探っていきます。


以下補足です。
「ICS再考」と副題を付けたのですが、よくよく考えると「激甚災害のさなか孤立した市民が自発的に危機対応するための自己組織化の手法」が本来追求したいテーマなので「緊急時の自己組織化を考える」に改めることにしました。たしかにICSブームの恩恵を受けていることは事実ですし、事あるごとに参考にし続けることになります。しかし門外漢の私がICSを再定義する権利も能力もありませんので、大上段に「ICS再考」とはいささか僭越が過ぎますね。訂正します。

ICSブームについても補足します。
東日本大震災を機に緊急時の各組織の指揮統制や連携を考え直そうという機運が高まり、アメリカの危機対応と自己組織化の標準であるICS(Incident Command System)に注目が集まりました。自衛隊など実力機関や法務執行機関ではそれ以前から導入が進んで定着しているのですが、市民社会での認知は進んでいませんでした。
しかし一時的にブームが起きたものの、急速にしぼんでゆきます。ICSの旗振り役であった学者からもICSは日本に合わない、古いといった声が漏れ聞こえてくるのです。ICSがだめだというなら、それはそれで構いませんが、では民間での危機対応の手法の研究は進んでいるのでしょうか?それすらブームとともに廃れていしまったのではないでしょうか。

普及側にも問題がありました。ICSはたった2人の危機対応から国家規模の対応までスケールアップを考慮した膨大なルールとコンセプトからなります。コンサル業界はその豪華絢爛なフレームワークの内実に深入りし、最初に文書フォーマットやIT製品ありき、あるいは硬直した原則論、繁文縟礼の罠に陥ってしまいました。これこそICSの柔軟性や現場第一主義といった本来のコンセプトから最も遠いところにあるのではなかったでしょうか?

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