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中論ー22.23

中論.第22章 如来の考察

1.修行完成者(如来)は.個人存在の構成要素(五蘊)そのものでなく.構成要素と異なるものでもなく如来の内に諸々の構成要素があるのでもなく.またそれらの諸々の構成要素の内に如来が在るのでもなく.如来がそれらの構成要素を所有しているのでもない…ここに如何なる如来が在るのであろうか…
2.もしも諸々の構成要素を執着して取って.仏陀が成立しているのであるならば.仏陀はそれ自体としては存在しない…それ自体として存在するのでないものが.どうして他のものとして存在するであろうか…
3.他のもので在る事に依存して生ずるものは.無我(アナッタ)であると言う事が成り立つ…無我であるものが.どうして如来で在りえようか…
4.もしもそれ自体が存在しないならば.どうして他のものが在り得ようか…それ自体と他のものを離れて.如何なる如来が在り得ようか…5.もしも個人存在の諸々の構成要素を執着して取る事なくして.何らかの如来が在るならば.その如来は今.執着して取るであろう…執着して取って.そこで如来が在る事になるであろう…
6.個人存在の諸々の構成要素を執着して取る事が無ければ.如何なる如来も存在しない…
また執着して取る事もなく.存在しないものが.どうして執着して取る事があろうか…
7.執着して取られなかったものは存在しない… また執着して取ると言う事は.何ら存在しない…そうして執着して取る事のない如来は決して存在しない…
8.個人存在の諸々の構成要素について.それらと同一であるとか.別異であるとか.五種に求めても存在しない如来が.どうして執着して取る事によって仮に表示されるものであろうか…
9.更に.執着して取るという此の事もまた.それ自体(自性)としては存在しない…そうして.それ自体として存在しないものが.どうして他のものとして存在するであろうか…
10.この様に執着して取る働きも.執着して取る主体も.全く空である…では空である如来がどうして空なるものによって仮に設けられるのであろうか…
11.空である.と言ってはならない…そう空でなければ空ではないとか.空であって空ではない両者であるとか.また両者ではない(空でもなく.不空でもない)と言うであろう…しかしそれらは何れも.仮説の為に説かれるのである…
12.この静まった境地(寂静)について.どうして常無常などの四句が成立するのであろうか…またこの静まった境地について.どうして有限.無限などの四句が成立するであろうか…
13.然るに如来は存在すると言う熱い執着に囚われている人は.ニルヴァーナに入った如来についても[如来は存在しない]と考えて妄想する…
14.しかし如来は.それ自体としては空であるから.この如来について[死後に存在する]とか.或いは[死後に存在しない]とか言う思索は成立しない…
15.戯言(プラパンチャ形而上学的論議)を超絶し不壊なる仏を色々と戯言する人々は.全て戯言に害されていて.真の如来を見ない…
16.それら如来の本性なるものは.則ち此の世間の本性である…それら如来は本質を持たない…この世界もまた本質を持たない…

中論.第23章 顛倒した見解の考察

1.貪欲と嫌悪と愚かな迷いとは思いから生ずると説かれている…何となれば.それらは浄と不浄と誤った見解(顛倒)とに縁って起こるからである…
2.浄と不浄と顛倒とに縁って起こる其れらのものは.それ自体としては存在しない…
それ故に諸々の煩悩は.本体について言えば.存在しない…
3.アートマ(魂.我.主体)の存在と非存在(無)とは.如何にしても成立しない…それが無いのに諸々の煩悩の存在と非存在とが.どうして成立し得ようか…
4.これらの煩悩は誰か或る人に属するものとして存在している…然るに.その人が成立しないのである…なにか或るもの(依り処)が無いならば.諸々の煩悩は如何なる人にとっても存在しないのである…
5.自分の身体をアートマ(我)と見做す見解の場合の如く.煩悩に汚れている人に付いて五種に求めて見ても.諸々の煩悩は存在しない…
自分の身体をアートマ(我)と見做す見解の場合の如く.諸々の煩悩について五種に求めて見ても煩悩に汚れた人は存在しない…
6.浄と不浄と顛倒とは.それ自体としては存在しない…何れの浄と不浄と顛倒とに縁って諸々の煩悩が起こるのであろうか…
7.色.形と音声と味と触れられるものと香りと思考されるものとが.貪欲と嫌悪と愚かな迷いとに対して.六種の対象であると考えられている…
8.色.形と音声と味と触れられるものと香りと思考されるものとは.それのみのものであって.実体が無く.蜃気楼の形を持ち.陽炎や夢のようなものである…
9.これら幻人(夢幻として現出する人々)の如きもの.影像に等しいものに於いて.どうして浄とか不浄とかが有り得るであろうか…
10.浄に依存しないでは不浄は存在しない…
それ(不浄)に縁って浄を我らは説く…
故に浄は不可得である…
11..不浄に依存しないでは浄は存在しない…
それ(浄)に縁って不浄を我らは説く…
故に不浄は存在しない…
12.浄らかなみごとなものが存在しないならば.どうして貪欲が起こるであろうか.また不浄なものが存在しないならば.どうして嫌悪が起こるであろうか…
13.もしも無常なるものに関して.常住であると思う此のような執着が顛倒であるならば.空なるものの内には無常は存在しない…
どうして執着が顛倒であるのか…
14.もしも無常なるものに関して.それが常住であると思う此のような執着が顛倒であるならば.無常であると思う執着も.空なるものに関してはどうして顛倒でないのだ…
15.何ものによって執着するのであろうとも.如何なる執着でも.また執着者でも.また執着されるものでも.それらは全て安らぎに帰している…それ故に執着は存在しない…
16.邪であろうとも.正であろうとも.執着は存在しないから.誰にとって顛倒が存するのであろうか…また誰にとって非顛倒が存するのであろうか…
17.顛倒せる者にとって諸々の顛倒は成立しない…また顛倒して居ない者にとっても諸々の顛倒は成立しない…
18.いま現に顛倒しつつある者にとって.諸々の顛倒は起こらない…汝.自らよく熟考せよ…何人にとって諸々の顛倒が起こるのであろうか…
19.未だ生じない諸々の顛倒がどうして起こり得るであろうか…諸々の顛倒が未だ生じないのに.どうして顛倒の内にある者が在り得ようか…
20.事物は自体からも生じない…他のものからも生じない…自体と他のものからも生じない…顛倒した見解を抱く者が.どうして在り得ようか…
21.もしもアートマ(我)と浄きものと常住なるものと安楽なる者が存在するのであれば.アートマ(我)と浄と常住と安楽とは顛倒ではない…22.もしもアートマ(我)と浄きものと常住なるものと安楽とが存在しないのであるならば.無我(アナッタ)と不浄と無常と苦しみも存在しない…
23.このように顛倒が滅するが故に.無知(無明)が滅する…無明が滅した時に.形成力(行)なども滅する…
24.もしも実に.それ自体として実存する何れかの諸々の煩悩が誰かに属しているのであるならば.どうしてそれを断じて捨てる事が出来るであろうか…誰がそれ自体を捨てる事が出来るであろうか…
25.もしも実に.それ自体として実存しているのではない何れかの煩悩が.誰かに属しているのであるならば.どうしてそれを断じて捨てる事が出来るであろうか…
誰が実在しないものを.断じて捨てる事が出来るであろうか…

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