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民主制=国民主権はなぜ必要なのか

 国民が主権者として、三権の上位に位置し、主権者として公権力をコントロールすることが、日本国憲法で規定されてる民主制である、と以前の記事でお話しました。その記事はこちら↓になります。https://note.com/tatsufuminitta/n/n3fec9281f1ff

 今回は、そもそもなぜ民主的に社会を運営しなければいけないのか、を考えてみたいと思います。

【なわばり=権利の起源】

 他の動物と同じく、人間も繁殖・生存のために、なわばりが必要です。なわばりは、他者を排除することを意味しますが、基本的に生存・繁殖には必要なことです。

  なわばりを防衛する、拡大するといった場合、個人(個体)より集団の方が効率が良く、集団への依存が強くなります。そして、群れ・集団・組織にもなわばりがあり、その中に個人(個体)のなわばりがあります。例えば、住居は住民にとっては排他的な縄張り、そのなかで庭・玄関・廊下・ダイニングスペース・リビングスペースは一般的に共有で、各部屋は個人の排他的スペースとなっています。国家も、共有スペースと排他的な意味合いの強いスペースで構成されているといえるでしょう。

 定住して、農業を営むようになると、人間にとってなわばり(耕作地、居住地、水)と、そこで採れる資源の帰属(誰が所有者か)を、社会的に認知することが必要になり、貧富の差が生まれます。
 獲得資源が多くなると、消費を増やすことができる、多くの家族を養うことができる、交換で自分の生産していないものを獲得できるので、生活の質を向上させたり、他者への影響力が強くなります。なわばりと、そこから獲得された資源の帰属の社会的な認知から、私有制度・相続制度が生まれ、現在の法体系に繋がっていきます。
 人間のなわばりは、胎内、家、私有地、地域(共同体)、職場、学校、団体、国家、人権、営業権、漁業権、採掘権など、さまざまです。他の動物にはない高い知能・言語能力・道具の使用が、人間社会独特の複雑ななわばりの概念を発展させてきました。

 なわばりを主張することは、無用な争いを避ける意味があり、基本的人権でなわばりを保証する概念も、無用な争いを避ける意味があります。なわばり争いが起きたとき、人間以外は自分のなわばりから侵入者を排除します。人間の場合は、利害の調整が必要になった場合、当事者が納得する妥協点を探す、そのためには話し合い、コミュニケーションが必要になります。利害の調整が成立すれば和解、だめなら、西部劇の世界では決闘、今では裁判ということになります。国家間の利害の調整の場として、今は国際司法裁判所がありますが、最終的には戦争ということも起こります。

【なわばりの拡大→支配&被支配】

 獲得資源=富を増やそうとすると、なわばりを拡大する必要が出てきますが、一人では生産性に限界がありますので、自分のなわばりの中で他人に働いてもらうことが必要になります。 
 自分のなわばり内で他者に働かせる場合、武力(暴力)で威嚇するか、得られた資源(農産物など)を分配するか、お金を払うか、という選択があります。

 なわばりの拡大や富の獲得手段も、他の動物にはない高い知能・言語能力・道具の使用が、人間にもたらしたものです。生産活動において、詳細な作業分担を決めたり、道具を使用して効率を向上させるのも、人間独自の活動になります。

 さらに、お金を介した交換活動(=経済)が活発になり、社会に分業体制が行き渡ると、多くの人は、お金のために働かざるを得なくなり、お金による支配&被支配の関係が強くなります。このお金を道具にした社会支配と信用創造の関係を解説した記事がこちらになります。https://note.com/tatsufuminitta/n/n0d227060b4e6

 現在は、武力と経済力、両方による支配&被支配の関係が社会に組み込まれているといえます。
 普段はあまり意識しないかもしれませんが、平和な時は経済による支配・被支配の関係が強く、いざというときは支配者側は武力を行使します。 
 支配するものと、支配されるものという序列ができると、社会はこの序列を維持させるためのものに変質して、一握りの人間が自分たちに都合のいいルールを社会全体に押し付け、公権力を使って社会を支配する、という構造が出来てきます。この支配&被支配が、人間同士や他の生物、地球との相互依存の関係を軽視する要因になり、差別・貧困・格差・戦争・環境問題など多くの問題を生み出しています。

 今の日本では、憲法で民主制=国民主権が謳われていますが、運用面で国民の主権行使の機会を少なくして、国政に民意が反映されないよう、様々な仕掛けがあり、それらを解説した記事はこちら↓になります。https://note.com/tatsufuminitta/n/n755ff8d79722

 みんな社会・集団の中で生きていかなければならないので、その中の決まり事として、ある程度支配・被支配を受け入れて暮らしていますが、搾取がひどい、暴力がひどいといった場合、被支配者が反抗し始めます。
 支配者は被支配者が団結して抵抗するのを怖がります
 支配者も結局自分たちだけでは生きていけない、支配される立場の人たちの生産活動に依存しているからです。
 今では、大多数の人たちは、生活上の時間のほとんどをお金を稼ぐために費やしています。この状況は、支配される人たちの団結を阻害するので、支配する人たちにとって好都合なことです。

【まとめ】

 人間も、他の生物も、相互依存の関係の中で生きています。 
 相互依存関係の維持の基礎は、他者のなわばり(権利)を尊重していくことにあり、これは社会を円滑に運営するうえで必須なことです。

 高い知能、言語能力、道具の使用により、人間は急速になわばりを拡大してきました。西暦1800年の世界人口が9億人、同1900年で16億人、同2000年で61億人、同2020年で76億人とウイキペディアに出ていましたが、人口が急増しているということは、人間の活動範囲(なわばり)が増えてきている、ということになります。このことは、他者との距離が縮まっていることになり、なわばり争い(他者との争いごと)のリスクが増えていることに他なりません。

 一握りの人間が自分たちに都合のいいルールを社会全体に押し付けることが、差別・貧困・格差・戦争・環境問題など多くの問題を生み出し要因になっています。このような人間が創りだした問題を解決するには、個人がなわばり(権利)を主張でき、かつ他者のなわばり(権利)を尊重することが必要になります。このことは日本国憲法で下記の通り規定されています。

第一二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

第一三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 自分の権利のため、他者の権利を尊重するため、少数の人たちが自分たちの都合のいいルールを社会に押し付けないため、民主制=国民主権を実現する必要があるのだと思います。

 筆者の考える国民主権についてはこちらの記事もご参照ください。https://note.com/tatsufuminitta/n/nc86e86e592e7 https://note.com/tatsufuminitta/n/n9319fb9ca5ef https://note.com/tatsufuminitta/n/nd1ddd2446828

 最後にこちらもよろしくお願いいたします。
 
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