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「伝え方」なのか、「中身」なのか、それが問題だ。

経営者の「顧問編集者」という仕事をしている佐藤さんのnoteを読みました。
確かに...
「中身」が無いと、どれだけ「伝え方」を磨いても意味がいない。



そして、
このnoteをきっかけに、先輩コンサルタントの言葉も思い出しました。

「外国語の勉強はした方が良いぞ。
どんなに"中身"があっても、"中身×言語力"が『伝える力』だからね」


そういうふうにして、僕の頭には、こんな掛け算が浮かびました。

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「伝える力」を、こんな感じの掛け算に分解したものは、
ときどき目にするし、
分解してみると、当然すぎて特別な驚きもない。

にもかかわらず、
「中身が大事だ」
「いや、表現だ」
「いやいや、やっぱり英語が出来ないと」
「いやいやいや、やっぱり中身が無いと...」
という会話が、世の中に溢れるのは何でだろう...


ひょっとしたら、
それぞれの要素の「成長曲線」が違っていることが影響しているんじゃないだろうか...


たとえば、仮に全部がゼロ地点からのスタートからだとすると、こんな感じだろうか。
(人によって大きく違ってくると思うけれど)

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「言語(外国語)力」は、筋トレみたいなものだ。
継続は力なり。やった分だけ、力となって返ってくる。
時々、飛躍的に力を伸びることもあるので、結果として、緩いS字カーブで成長していく。


「構成・表現力」は、ある程度の型があるので、立ち上がりがスムーズだと思う。
ただ、そこから先は、飛躍的な成長というよりは、ジワジワ成長していくようなことだろう。
(プロの世界の奥深さは、別次元だけど)


「中身」の成長は、やっかいだ。
急ごしらえの成長は期待できないだろうし、停滞することもあるだろう。過去の「中身」を否定して新しい「中身」を生み出していくこともあるだろう。イマイチだと思っていた「中身」の要素が、別の場面では魅力的な「中身」に衣替えすることだってある。
坂道・トンネル・草っぱら、一本橋に・でこぼこジャリ道、蜘蛛の巣くぐって、下り道。全部ぜんぶ「中身」になっていく。
そもそも、「中身」の成長って、どういうモノサシで図るんだ??


そういうふうなことなので、
短期的な目線で言えば、「構成・表現力」を磨きましょうだし、
中長期的な目線で言えば、「中身」が大事だね・「外国語」の勉強は続けようね、という話になりやすい。



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ちなみに、3つの要素は、影響し合うこともあるような気がする。

「構成・表現力」「外国語力」が光っている人には、チャレンジの機会が回ってきやすいだろうから、それが「中身」を磨く経験になるだろう。
その機会を「中身」に繋げられるかどうかは、その人次第だけれど。





「成長」ということについて、いろんな人が、いろんなことを言っています。
4月から新社会人になる方々におかれましては、いろんな人の意見を参考にはしても鵜呑みすることなく、自分なりの「成長」の考え方を作っていくことを祈っております。

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