落語家の話

落語家の春風亭昇太さんと、糸井重里さんの対談の中で、

これまた別の落語家の古今亭志ん朝さんの話が出てきます。

志ん朝さんは、ほんとに粋で格好いい落語家で、

昇太さんにとっては憧れの先輩にあたります。


対談のなかで、昇太さんが志ん朝さんに言われた言葉を紹介していて、

それが

「鮨屋には、鮨屋らしい鮨屋と、鮨屋くさい鮨屋があるんだ」

というものです。


ぼくはこの言葉がとても頭に残っていて、自分たちの職業にも

当てはまるんだろうな、ということを思っています。


世の中には、「正しいことを言う人と、正しそうなことを言う人と、

正しそうにものを言う人がいる」と思っています。


ほんとは、正しいことだけをバシっと言う人間になりたいものですが、

至らないところや不慣れなことも多く、必ずしも、そういうわけには

いかないのが実際のところです。


ただ、「いま自分がどれに当てはまるのか」ということには

自覚的でありたいと思っています。



もうひとつ落語家の話をしてみます。




ホーチミンで立川志の輔さんの「百年目」という噺を

聞いたことがあります。

ほんとに素晴らしかった。

ほんとは噺を聞いてほしいのですが、頑張って要約してみますね。

(ネタバレ注意、です)





ある商店の番頭が主人公の話です。

その番頭さんはしっかり店の切り盛りができる人で、奉公人にも厳しい。

でも実は、店の人たちに隠していますが、芸者遊びが大好きなんですね。

ある日、桜がキレイな日にも、お客廻りをしてくると嘘をついて店を

抜け出して芸者達と花見をしに行きます。

ただ、なんとそこで、

店の旦那(番頭の上司ですね)に遊んでいるところを見つかってしまう。

その夜、番頭さんは、「あぁ、旦那さんに怒られる。店をクビに

なってしまう」と眠れない夜を過ごすんです。


そして翌日、番頭さんは旦那さんに呼び出されます。

きっとクビを告げられると思っているわけですが、そうではないんですね。


「番頭のアンタが、芸者遊びをしているのを見てしまったものだから、

きっと店のお金に手を付けているのだろうと思いました。

番頭をアンタに任せてから今まで一度も店の帳簿をチェックしたことは

無かったのだけれど、ついに昨日の夜、見てしましました。


でも、帳簿に穴は、1つも無かった。そこで、ワタシは、

アンタが店の仕事を間違いなくキッチリしていること、

そして芸者遊びができるほどのチップをもらえるほどに

お客様から信頼されていることを知りました。

いつの間にかそれほどの信頼を得るほどに器の大きな人間になっていた。

そのことに気付けずに申し訳なかった」と。


おしまい。




自分が成長していく、

あるいは、

人が育っていく、

ということを考えるとき、

能力と器(「人間」と言っても良いかもしれません)、

というのは少し別の種類のものであって、

しかも、2つとも とても大切なことなんだと思います。


ぼく自身は、人の器を語れるような人間ではありませんが、

そういうことを考えながら、

日々を大切に暮らしていきたいと思っています。


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