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自己紹介と発信する理由

20本近く投稿しておいて、今更自己紹介もないんですが、自分の軸を確認する意味も込めて「発信する理由」と併せて記します。


自己紹介

30歳男性。独身。
幼少期は活発さもあって、よく友達と遊んでいた記憶がある。両親は共働きで、よく祖父母に面倒を見てもらっていた。
音楽一家で、ヴァイオリンを習ってはいたものの、音楽に関することだと親が厳しくてあまり好きにはなれず、絵を描くことが好きだった。
ヴァイオリンも、絵も、中学受験も、姉が通った道なのに、何者かになれた気がして、調子に乗っていた。
小学生の頃は、そこそこ友達もいた気がするけど、中学校に入ると、これまでのnoteでも断片的に書いてきた通り、何もうまくいかなくなった。
まず、絶望的に友達ができない。勉強には全くついていけず、運動音痴で体育も苦手、肌は荒れ、同級生からの容姿いじりは止まらなくなった。おまけに、ヴァイオリンが全国レベルでうまい同級生もいて、正面から放たれた「お前って本当に何もできないよな」という言葉は呪いのように心に響き続けた。

やっと仲良くなれたと思った友達も、悉く学校を辞めたり、いじめにあったり…そんなことが続いて「自分は疫病神だ」なんて悲劇のヒーローぶっていた時期もある。
エスカレーターで高校に上がると、次第に不登校になり、登校しても保健室や相談室。何度も死のうと思ったし、その度に母を泣かせた。
自分のことを嫌いになり、自分を傷つけることで誤魔化して、自分と向き合うことから逃げていたのだと思う。

たまたま九州の大学に合格し、家族や先生の助けもあって、高校もなんとか卒業できた。

大学では、親元を離れ、1年生の時は寮に住んでいた。
ここが人生のターニングポイントで、同じ階に住んでいた人達と仲良くなり、彼らとは一生モノの友人になった。

野球を始めると、練習態度が認められて、2年生の時にはキャプテンを任された。
野球は素人、高校まではほぼ引きこもりだったのに、認められたことが嬉しくて、ストレスこそ尋常じゃなかったものの、充実感があった。

アメリカに1年間留学し、日本と比べて10年くらい技術が進歩していることや、メジャーリーグの面白さ、文化の多様性を感じ取り、海外に魅力を感じた。
一方で、実力主義社会、治安も悪いところは悪く、人種差別にもあったし、何より食べ物が合わなかった。
そんなマイナス面も肌で感じて、日本の魅力を初めて知った。

日本に戻り、やりたいことが見つからないまま就活を迎え、全国各地回ってみるも結局地元に戻り、自分を一番評価してくれてると感じた会社に入社。

入社後、会社の先輩に「周りの人からこう(悪口)思われているよ」と度々言われ、仕事量にも追い込まれ、精神的に参ってしまった時期はある。
上司の助けもあり、なんとか立ち直り、今も同じ会社で勤めている。

これはあくまでも自分の視点での話。
他の人の視点で見れば、また全然違うように見えるだろう。
実際に自分で振り返ってみても、30歳になるまで随分拗らせていたように思う。
理不尽なこともあったかもしれないけど、自分が選択したことにより、暗闇を作り出してしまったことだっていくらでもある。
ただ、今こうして生きてるので、OK。

何を書くかも大切だけど、その前にどんな人が書いてるか伝える必要があると今更思い、改めて自分の歩みを書いてみた。

発信する理由

さて、本題。
noteで、発信する理由は大きく3つある。

小さい規模で、細々と更新しているnoteだけど、意外と反響をいただける。
読んでいただけてることだけでも十分すぎるくらい嬉しい。
加えて、言葉を貰えることが何よりも嬉しくて、まとまらないまま更新してしまうこともある。
だから、まずは①自己満足のため。
お世辞でも嬉しい。恥ずかしげもなく言うことではないかもしれないけど、自分を満たす手段として書いている。

次に、②生活にハリが出ること。
テーマを探しながら生きていると、日常の中でこれまで流していた些細なことも拾えるようになる。
自分が感じていることを言語化することで、思考を整理できる。
思考を整理できると、自分の基準ができていく。
基準ができれば、進むべき道が見えてくる。

最後に、③誰かに寄り添える可能性を感じたから。
これを一番大きい理由として持っておきたい。
10代を自滅しながら過ごしていたにも関わらず、今こうして曲がりなりにも自立して、小さな楽しさを見つけながら、過ごせている。
誰かを助けられるパワーはないし、「気持ちがわかる」とは言えない。
だけど、こういう道を歩んできたからこそ、人の痛みに寄り添える。

悩みが尽きない人、何事も自分のせいにばかりしてしまう人、今暗闇の中にいる貴方に伝えられることはあるかもしれない。

中学生の時、一年の目標を一人一人が書き、それが教室の後ろに掲示された。

そこに「誰に対しても優しくしたい」というニュアンスのことを書いた。

クラスメイトはそれを見て「偽善だね、人に好かれたいから媚び売ってるんだろ」と言った。

否定できなかった。「自分のために人に尽くすのは偽善なのか?」

今の自分なら、否定"しない"。
・「私が」あなたの喜ぶ姿を見たいから

・「私が」あなたの悲しむ姿を見たくないから

対象はいても、主体はあくまでも「私」

それを偽善と嘲笑する人たちに嫌われたくないからという理由で、意識的な「人のための行動」にブレーキをかける必要はない。

生きづらいと思っていませんか?
傷ついていませんか?
自分で自分を否定してませんか?

残念ながら、貴方の気持ちまではわからない。
だけど、傍に心を置いておくことはできるかもしれない。

どこかの貴方に寄り添える文章を書いていけるよう、これから積み重ねていきます。


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