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副旋律

「うちは地味な家系だから」
どんな文脈だったかは思い出せないけど、学生の頃に父親が言っていた。

モブキャラ。いや、モブにすらなれない半透明人間。
「姿を消せる訳がないけど、存在感は限りなく薄い。」
そんな自認だった。
年を重ねると、そこから存在感の比率が上がって、その上で"なんとなく疎ましいもの"として扱われることが増えたような気がする。
"嫌われる"程でもないのがまた心にくる。

”メインキャラクター”になれないことに思い悩むほど、今更自分の立ち位置をはき違えたりはしない。
ただ、高望みをして生きてきたわけでもない中で、さらに排斥されるのを感じたとき、社会への不適合さを改めて提示されているような気がして、心を爪楊枝で刺されたような感覚を覚えた。

透明人間にも意思や感情はある。

誰に認められ、何を大切にして、どんな役割を果たしたいのか。
時間は有限、心にも脳にも容量はある。
その中で、自分のことを視界にいれない人に、どう思われても、何を言われても、どう扱われようと、そんなに大したことではないはず。

大学の頃、ベースギターを始めて弾いた時、色々な歌のベースラインが気になるようになった。
聴こうと意識しないと、あまり耳に入ってこない。
でも、意識するとしっかり奏でられている。
曲の中に溶け込み、目立つことはないけれど、主旋律を引き立たせる。
そして、存在を認識している人には、心地よさを与える。

自分の果たしたい役割はまさにベースライン。
自分のことを認識してくれた人が、心地よく生きられるように寄り添う。
半透明な自分だからこそ掬い取れる人の痛みや、思いがあるはず。
大切にしたいものは、それだ。

半透明人間は、主人公にも、主旋律にも、なれないけれど、いつの日か副旋律になれるように。







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