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脱栽培マンサロンに入会して最初に感じたこと


こんにちは。私は最近”脱栽培マンサロン”というサロンに入会してみました。

巷ではオンラインサロンブームがじわじわと浸透しているのもあって、私も「オンラインサロン入るならどんなのが良いかな?」と思って探し始めたのがきっかけです。

本日は、脱栽培マンサロンに入会して思ったこと、というのをご紹介させていただきます。
(サロンに入会してまだ間もない状態なので感じを掴みきれているかはあれですが。)

これから脱栽培マンサロンに入ってみようかな?やオンラインサロン何が良いかな?と思っている方々の参考になれば嬉しいです。

※栽培マンの定義
=ドラゴンボールに出てくる雑魚キャラ同様に代替可能な人材であること。代替不可能人材になるという意味で脱栽培マンと認識しています。

まず、脱栽培マンサロンには日本特有の年功序列が存在しない

このサロンに入っている時点で「私は栽培マンです」と認めているようなものなので、たとえ50代の人であっても20代の人であっても同じ栽培マンであることに変わりはなく、年齢によるヒエラルキーが薄まっていると感じています。そのため世代を超えた本質的な議論がなされている印象です。

肩書や役職に惑わされない

年功序列が無いのと同時に、普段どんな仕事をしていてどれくらいの影響力を持っているか、という点では主催者の梅木さんやオブザーバーであるサイヤ人の方を除いて、基本的には関係ないという意識が働いています。

そのため、普段は「こんな肩書の偉い人とは対等にしゃべれない」というのがあったとしても脱栽培マンサロンでは、その前提が低くなるのでフラットに意見できる環境が揃っているな、と感じています。

たとえば会社内で上司部下の関係でギスギスしている人がいたとしても、「これが脱栽培マンサロンで出会っていればもっと本質的に話せたのに」とか思ってみることができそうです。

これは憶測ですが、これが仮に課長レベルの栽培マン、とか階層が分かれてくるとおもしろくなくて”みんな同じ栽培マン”だからおもしろいんだと思います。

要は世間でのしょうもない小さな階層をなくすことで意見しやすくなるような印象の話です。

自分が栽培マンであることを認めることの気持ちよさ

普段会社勤めをされいてると企業ブランディングなどによって「高貴であれ」などと刷り込まれているので本当は能力低くても常にデキる人、を演じなければならないという本来不必要な緊張感から開放される感があると感じています。

ニュアンスは全然異なりますが、共感を得るという点でハッシュタグで流行した #metoo にも近いものがあるかも知れません。

本来の自分の実力に相応しない役職にストレスを抱えている人が、まずはそういうのから開放されて本質的に学ぼう!というインサイトがあるように思っています。

行動的な栽培マンしかいない

あらためて書くのも何ですが、「脱栽培マンサロン」という名前のサロンに入会している時点で相当行動力あると個人的には感じています。

本当にもし、某企業で「高貴であれ」というような社訓に支配されている会社員の方いて、その人が会社の取締役の方に脱栽培マンサロンに入会していることがバレたらだいぶヤバイことになると思います。

入る前と入った後では印象が変わる

これは、確実に変わると感じています。コミュニティそのものも常に変化していますし、栽培マン同士の団結感のようなものも結構働いているなと感じています。全く文化の異なる世界がそこにはあるなと。

本日は今時点で感じていることをまとめてみました。

気になった方は「まず入ってみてから考える」というのが良いかもしれません。


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