(231124a) 初心忘れるベカラズ。

「初心忘れるベカラズ」って言葉がある。

何となく、守破離に於いての「本分忘れるベカラズ」と似ているな。

ついつい、
紙などに大きな字で書いて壁などに張り出しておきたい気分になる。

でも、感覚的には、どうなのだろうか?
毎日毎日、その言葉が目に飛び込んでくるだろう。
・・・
なんか、ウルサイって感じないだろうか?
要するに、
「初心を忘れなければ良い」「本分を忘れなければ良い」のであって
壁に張り出すのは、その為の【手法・道具】の筈だ。

どうすれば、良いのだろうか?

何か悩ましい。

「本分」は、どうして生まれたのだろうか?

例えば、「本分」が
「親子・家族と仲良く暮らして行きたい」
だとする。

こういう本分を思い付く環境って、
例えば(だけれど)たぶん、
この本分が実現出来ていない環境に、自分が身を置いていた。
って事が原因に在って、
それで「家族と仲良く暮らしたい」って思いが生まれて来たんじゃ?
無いだろうか?

だから、壁に言葉を貼っておくのも、一つの手段だけど、
その初心・本分が呼び覚まされた環境に、ワザと身を置いてみる?
ってのも、良いのかも知れない。
イヤでも、思い出すわな。初心や本分を。

まあ、クダラナイ事をツラツラと書いてしまいましたが、

今回は、こんな感じで、終わりです。

以上です。