(240511a++) 自分に都合が悪い事を是認できる様になる為には、自分を好きである必要がある。

やはり、人間というモノは、
自分にとって都合の良いモノを求めていて、
都合に合わない苦(にが)いモノを、どうしても受け入れられない様です。

こう言っている僕自身だって、自分自身では気付かない内に、
自分に都合が悪い事を、拒否して否定してる事でしょうね。
そして、他人の話だから(自分のプライドが傷付かない事だから)、
平気でケナせているのだと、思います。たぶん、その通りでしょう。

この事(自分に都合が悪い事を是認する事)が、どれほど大変な事か!

だから、自分を好きになろう。
(自分自身を心から褒められる様に成る為に)一生懸命働こう。
(自分をキライに成らない為に)ウソをつくのを止めよう。
(自分が好きになる為に)困った人を一生懸命援助しよう。
(他人や自分に自分が裁かれない為に)他人を裁くな。
(自分が自分を見捨てない為に)他人を見捨てるな。
(自分が妬まれても平気になる為に)他人を妬むのは止めよう。
・・・
みんな、自分自身を好きになる為に、であって、
(自己肯定を強く持つ為であって)
これらは誰でも無い自分の為であって、他人の為なんかじゃない。
エゴと言われようが何と言われようが、自分の為だ。
【情けは人の為ならず】です。
 この言葉の本来の意味を知っている人も多いと思います。
 ✕優しくするのは、他人を付け上がらせるから他人の為に成らない。
 〇優しくするのは、他人の為ではない。自分に良い報いが来る為だ。
何が(を)イケないと言うのだろうか?
自分を成長させる事のどこがイケないのか?

僕が目を醒ましたら、周囲はみんな自分の為の事しか、やってなかった。
だから、
妙に言いがかりを付けて他人のエゴにケチを付ける奴は、
みんなウソツキだった。
彼らに、あなた方を貶(けな)せるイワレなど、カケラも無い!
だから、自分の為に、他人に迷惑を掛けないで自分の為に、
目一杯の自分のエゴ?を追求しましょう。

エゴという言葉で、誤解を生んでいる内容は、たぶん、
「他人の損害になる事をやって、自分のトクとする」事であって、
「他人に迷惑を掛けずに、自分がトクをする」事は、全く悪くない。
  ※他人に迷惑を掛けずに自分がトクをする事を非難攻撃するのは、
   要するに、妬みです。この妬みは結局自分を台無しにするモノです。
   だから、放って置きましょう。
【多分そうだと思うのですが】、そういう事だと思います。

だから、
「目一杯、自分のトクを追求しましょう。但し、他人に損害を与えずに!」
なのでしょう。

うまく、マトマッていませんが、こんな感じで、

以上です。


追加です。(2024/05/11 - 10:25 頃)

自分にとって都合の悪いモノを是認できる様になると、
大抵の場合、それは、その人の進歩につながって行きます。

だから、進歩する為に、自分に都合の悪いモノを認められる様になろう。
そして、都合の悪いモノを是認できる様になる為に、自分を好きになろう。

だから、進歩する為に(自分がトクをする為に)自分を好きになろう。

以上です。


追加です。(2024/05/11 - 11:50 頃)

時々、これらの論理の前提が崩された扱いを受けた人が居る。

典型例が、
家族から赦されなかった。虐待され優しくされなかった。
等々の、
虐待家族サバイバーなどと呼ばれる人達だ。

彼らの事を見ていて、学んだ事があった。
彼らは、
「許して貰えなかった。裁かれ虐待され命さえ取られかねなかった。」
だから、
彼らの場合は、
「(許してもらう為に)他人を許せ」
という論理の前提が崩れている事を、僕は思い知らされた。

だから彼らの場合、彼らが本当の意味での幸せに到達すれば良いのだろう。
と思っている。

要するに、みんな誰しもが、「幸せになりたい」のである。
ただそれだけである。

それさえ満たされれば良い。

その為の、広くて多くの人達が通る道(よくあるパターン)も在れば、
他の人から妨害を受けて、狭くて窮屈な道(めずらしいパターン)も
ある様だ。

要するに、「(誰しも)幸せになりたい」のだ。
これを追求する事を妨害する者が居るとすれば、
そいつこそが悪の権化である。
赦す必要すら無いのかも知れない。

そういう場合、他人の言う事なんて、ごみクズ同然である。
その人は、その人で、自分の幸せを追求すれば良いだけだ。

以上です。