2023/3/23 飼い猫と性感帯

我が家には猫がいる。
今の家に越してきたときに保護猫カフェから譲り受けた。
今ではすっかり元・接客業の面影もなく、よそ者が家に来た途端叫びながら逃げ回る家猫になっている。

最近、この猫は果たして幸せなんだろうか、と思うようになってきた。

もちろん安全は整っているし、ご飯も適量あげているので、生きる上での不自由は無い。
しかし、生きがいが必要…とまでは言わないが、猫にとっても、生きる上での楽しみみたいなものは必要ないのだろうか。
僕は人間として生きてきたので人間の価値観で見るしかないが、そう強く思ってしまう。

猫は、家猫のしかもリビング飼いなので、一部屋でずっと生きている。
朝起きてリビングに行くと、ドアの前で待ち構えている。
お風呂から上がりストレッチをしようと床に座ると、体を押し付けてくる。
人間様の主観で言えば「かわい~~~~」って行動なんだが、猫はどんな気分でしているんだろうか。
暇なんじゃないだろうか。暇な1日の中で、やっとくる暇つぶしが自分なのではないか。

キッチンに行くと、もしかしてご飯ですか…?と様子をみにくる。
これはまあ食事なので、生きる上での欲求と結びついた挙動なんだろうなと納得している。

でも、待ち構えるのはそれとは違うだろうな、という感覚がある。
うちの猫に限らず猫全般は、しっぽの付け根を叩くと、喜ぶ。どうやら尻尾の付け根に性感帯があるらしい。
だとしたら、体を押し付けてくるとかそういう媚動作は、性欲由来なんだろうか。
人を気持ちよくしてくれるお尻叩きマシーンだと思っているのだろうか。

うちの猫は保護猫なので、去勢されている。
家猫なので、他の猫との接触もない。
そう考えると、この猫は他の猫との性的接触もないので、せめてその代わりになってあげないといけないのかな、という感覚もある。
それくらいしか、やってあげられることがない気がする。

京都の劇団「安住の地」の作品に『犬が死んだ、僕は父親になることにした』という一人芝居がある。

妻の犬が死んだ。妻が独身時代からずっと飼っていた犬だ。
僕が帰ったら犬はひとりで死んでいた。よりによってその時家にはだれもおらず、というのはいま妻は身重で、里帰り出産ということで遠くに行ってしまていたのだ。妻に電話をする。葬儀屋を調べる。思いの外淡々とことは進んで、静かな夜が訪れる。死んでしまった犬と、僕の長い夜がはじまる。
―――動物の生と性を描く、一晩の物語。

死んでしまった飼い犬に同情する若い夫の話で、観た時は正直「飼い犬が死ぬ」というところばかりに気を取られていた。
だけどいまは、「(去勢された)飼い犬に同情する」気持ちがわかるようになった。

これは性欲の話をしているのではなく、それに代表される、自主性と自由の話をしている。
「飼い殺される」ってそういうことだよな。
家に閉じ込められ、(食欲と睡眠欲は保証されるが)性の自由は奪われ、特にすることもない。朝と夜には人が来るので、代わりに性感帯を刺激してくれる。それだけ。

性感帯刺激システムではなく、ちゃんと「人がいると嬉しいぜ!」って思ってくれているなら、助かるな。
でもそこまで意識があるならそれはそれで、こんな暇な家で申し訳ないな。

猫、どこまで自我があるんだ。

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