[日系メガバンク→米VCへ]テクノロジーで貧困問題を解決したい
Ishii Risaさん:10歳から高校卒業までを米オハイオ州で過ごす。大学から早稲田大学に入学し、卒業後はメガバンクに就職し、現在はシリコンバレーのVCの一員として活躍する。
ー大学時代に40カ国ほどの国に行かれたとお聞きしたのですが、きっかけは何だったのでしょうか?
10歳まで静岡で暮らし、両親の転勤でアメリカのオハイオ州に引っ越したことがきっかけです。
7年の滞在を経て高校を飛び級卒業した後に帰国、帰国生専用の予備校に通い、早稲田大学に入学しました。
予備校では、300人の帰国子女がいて、18年間もタンザニアに住んでいた人、生まれはガーナでその後は欧州で育った人などに会い、「こんなに世界には知らないことがあるんだ」と感じたことを覚えています。
「親の職業はなにか?」という会話から、自分の選択次第で世界を股に掛ける職業にも就けることを学びました。それが大学時代に世界を周ろうと思ったきっかけです。
ーアメリカでの高校時代はどんな学生生活だったのですか?
街に一つしか中学校や高校が無い田舎でした。その頃から色んなことに挑戦する性格だったので、勉強はもちろん、部活やボランティアもしましたね。
ボランティアでは、母子家庭の買い物を手伝う、子供の面倒を見る、炊き出しをやる、幼稚園で髭を剃る際に使うスプレーとお湯を混ぜた液体の上にビニールシートを敷いて、小さい子を滑らせて遊ぶといったことをやりました。
部活は吹奏楽部に入りフルートを担当しました。運動もバスケ、水泳、ゴルフ、マーチングバンドをしました。
両親が日本人が多いと英語を話せるようにならないのではと思い、オハイオの中でもベラフォンテンという田舎町を選んだらしいのですが、おかげで英語が話せるようになり、様々な活動に携わることができました。
アクティブに活動した大学時代
ー大学に入ってから、UNHCR(国際連合難民高等弁務官事務所)でインターンしたと聞いたのですが、どんな経緯で始められたのですか?
もともと中学時代からアメリカで模擬国連の活動をしていたので、大学入学後も模擬国連に入ったのですが、今まで挑戦したことのない経験を求めて1年で去りました。
その後は旅をしたり、イベントに参加したりしました。三年になって就活を意識するようになり、どうせなら社会人になってから出来ないインターンをしようと思い、前から興味があった国連でインターンをしようと決めたのです。
そこで、イベントで知り合った国連職員にコンタクトしました。
ーどういったアプローチで知り合ったのですか?
国連職員が大学や都内に講演で来る機会が多かったので、そこで知り合いましたね。
コンタクトを取ってから、どこでインターンしたいか聞かれたのでUNHCRでのインターンを選びました。
ー大学までのキャリアを聞いていると、もともと難民、貧困層に興味があったのかなと感じたのですがどうですか?
実はオハイオには難民も移民もあまりいなくて、白人ばかりでした。
格差はありましたが、ダイバーシティは無く、貧困に意識が向いたのは大学に入ってからです。
旅をしていると、多くの貧困層の人に出会いました。そうした経験から、日本が毎年少数の移民、難民の受け入れしかしないことに疑問が湧いたのです。
そうした問題を世間に広める活動をしようと思い始めたのがきっかけです。
また、どんな仕組みで国連は難民を支援しているのか見てみたいとも思いはじめました。
BOPビジネスに携わるためにインドへ
あとは大学の、インドで活動する団体に入り、BOPビジネスに携わりました。BOPとはベース・オブ・ピラミッドのことで、貧困層を指します。
貧困層の人は1箱30ドルもする洗剤は買えないけど、1回分なら買えるかもしれませんよね?小分けにして必要な時に必要な分だけ手に入る体制を整えることを目的としたビジネスです。
これは大学1年生のときにアフリカでマサイ族の家でホームステイした経験、スラム街に行った経験から興味を持っていました。
調べたところ大学にBOPビジネスをしている団体を見つけたので、応募しました。
具体的には、カゴメのケチャップや栄養価の高いジャムを届けました。会社が社員を派遣してインドなどの危険な地域でリサーチするのはリスクがあるので、我々が代わりに担ったのです。
「飛行機代、滞在費、コンサルフィーを出していただければ私たちで行います」と会社に営業し、協力を得てやりました。BOPビジネスだけでなく、何種類かのジャムを持っていき、どのジャムが好きかの調査もしましたね。
でもBOPビジネスは利益にならず、日本企業が積極的でないことに気づいてから辞めました。企業からすると1個10円の物を売っても利益確保が難しかったのです。
また最後はビジネスというより、リサーチがメインになってしまい、やりたいことと相違ができてしまったからというのも理由の一つです。
日米協会でのインターン
その後、日米協会でインターンを開始しました。二年生の終わりごろです。
きっかけは成人式です。私は中高がアメリカだったので、参加する成人式が無く、そこから友人と、都内の帰国子女を集めて成人式を開催しました。
成人式には藤崎元駐米大使を呼びました。私は彼のスピーチに感銘を受け、彼が会長を務める日米協会で働きたいと思い、コンタクトを取り、インターンすることになったのです。
そこはリタイアした年配の方が運営する団体で、様々な業界の会社にコネクションがあったので、多くの上場企業の経営陣に会えましたし、多様な話を聞くことができて楽しかったですね。
ー印象に残っているエピソードはありますか?
KIKKOMANの茂木会長から活動費用をいただいたり、ケネディ大使と大統領選を見たり、本人とお話しすることができました。
沢山の人と出会い、会社がどんなビジョンのもと経営されているかを知るのは勉強になりました。
また、個人的に人と話すこと、海外行くことが好きというのもあり、外交官にも興味があったので、藤崎さんから外交官としての体験談を伺う機会もありました。
私は国連で働きたくてUNHCRでのインターンをしていたのですが、知れば知るほど政治が絡んでいるということもあり、国連で良いポジションに就く人は政府からの派遣であることが多いことも知りました。
自分の知らない世界の人と話す
ーなぜ海外の人と話すことが面白いと思うようになったのだと思いますか?
単純に人に興味があったからだと思います。
私は一人の時間が欲しいタイプでもなく、自分が知らない話を聞くのが好きです。知らない世界にいる人との会話やイベント、海外に行くことは大事だと思っています。
ただ自分の周りにいる人の話だけを聞いても全体は捉えられないので、自ら場所を変えて話を聞きに行くことで、初めて全体を把握することが出来ます。
例えば、学生時代に夜勤の居酒屋バイトを通じて、フリーターの方と意見交換をしたり、フリーターしかいないコミュニティにも参加しました。
それこそ「なんでここに早稲田生がいるの?」とも言われました(笑)
彼らが何にお金を使い、どんな生活をし、何を考えているのか知ることで、「世の中にはこんな人もいるんだ」という発見になりました。
自分と違う生活をする人と接し、今後の社会がどうなっていくのかを考えました。実際に自分の目で見ないと分からないし、語れないと思ったのです。
その他にも、地域の老人の会に定期的に参加しました。自分が老人ではないので彼らが何を考えているのかなんて話してみないと分からないですよね?
「○○だから人と話すのが好き」とかはなく、単純に好きだったんだと思います。
新卒でメガバンクそして、VCへ
ーその後新卒で日系メガバンクに入られたのですよね?
約40カ国訪問して、20代は日本で過ごしたらダメだと考えました。だからといって外資に入っても日本にしかいれません。
そこで日本企業なら駐在で海外に行けると考え、二年目から海外へ送ってくれるプログラムのある銀行に入社しました。
ービジネスじゃなく、NGOなどに入る選択肢はなかったのですか?
大学時代にNon-profitの団体をいくつか見る中で、お金を稼ぐことの難しさを感じました。結局、物事を動かすにはお金が絡んでくることが多いのです。
UNHCRで働いたときも、「もっとお金があれば多くの場所にボランティアを派遣することが出来るのに」と思っていました。
NGO、NPOの方が民間企業よりもビジョナリーである場合が多いことは確かです。
そこで、金融機関に入ることでお金の作り方を学び、支援することが出来たらと思いました。
でも実際に入ってみると、現実はそう簡単ではなく、取引先の大企業の戦略を考えることが主でした。
今はNPOなどに関わることが出来なくとも、いずれは関われるかもしれないです。ただ、私は時間をかけることが苦手なので、転職を決意しました。
休みを取って訪れた中国で、たくさんのスタートアップが人々の生活を大きく変えていることに気がつきました。
お金はお金以上の価値を出してはくれないが、技術であれば開発費にかかった以上の膨大な影響を社会に与えることが出来ると思い、この方法でNGOやNPOを支援できるのではないか?と考えました。
お金は本質的ではないのかも、お金は私の役目ではないのかもとも思いました。
運良く、Plug and Play の話を頂けたので、VCとしてお金を勉強しつつ、新しい技術、今の企業が将来何をしようとしているか見ることができると思い、入社を決めました。
ー今はどんな仕事をしているのですか?
Plug and Play の仕事は大きく分けて3つあります。まずは、VCとしてスタートアップに投資することです。昨年度は262社に投資しました。
2つ目は、企業が求める技術、ソリューションを持つスタートアップを我々が紹介するマッチングサービスです。現在は世界26拠点にて300社以上の上場企業と提携しています。私が主に関わっている仕事もそこになります。
3つ目は、3か月のアクセラレータプログラムをスタートアップ向けに運営することです。スタートアップによって必要な支援は異なりますが、例えばリーガル面の支援があります。
大企業と契約する際に、スタートアップと協業前例のない企業だと、中身の調整に大幅な時間とコストがかかってしまいますが、その領域に特化した弁護士を紹介することでスムーズに運べるようお手伝いします。こうした支援を3か月間無料でしています。
オフィスの受付
日米企業のスタンスの違い
ー仕事をしていて、日本企業との違いはありますか?
日本では枠組みの中で、やるべきことと、それ以外というラインが明確に決まっていました。求めれている以上のことをやっても評価に響かないのです。
反対にPlug and Playでは、手段は何でもいいから最短距離でゴールを達成するというイメージですので、自由に動くことが可能です。
また、日本と違い、一つ一つ教えてくれる人がいないので、他の社員がやっている方法を見たり、外からのインプットによって自分のやり方を模索します。
例えば、今月はCES(ラスベガスで開催されたテックカンファレンス)があったのですが、当初私は行く資格がなかったのですが、どうしても行きたかったので直談判したところ、「CESで企業とのミーティングを10個入れたらいい」と言われました。
直前だったので10個も入れるのは無理だと思ったのですが、航空券、宿を取ってマネージャーに相談したところ、「取ってしまったんだったらしょうがないよね」と言われ、許可をもらいました。
その後はCES直前まで、ミーティングのセッティングに時間を費やし、結果12個入れることが出来ました。
この場合、日本だとそもそも若手すぎるので問答無用で行けませんが、Plug and Playでは払っている以上のリターンが返ってくるなら良いというスタンスです。
そういう意味では非常に私に合った働き方だと感じています。
提携してる企業のロゴが壁に貼られている
ー学生時代から様々な国籍の方と話すことが多いと思うのですが、その度に難しさは感じますか?
特にないですね。自分が裏表なく素直にアプローチをすれば、相手もだいたい分かってくれます。
私は中国語を勉強したいと思っているので、最近は中国人に中国語で話しかけたり、一緒にカラオケに行き、練習した中国語の歌を歌ったりしています(笑)
純粋に知りたいと思って話せば相手もそれを分かって教えてくれるし、相手も日本について質問してきます。
ー今後したいことはありますか?
全然わからないです(笑)
2年前はまさか私がここで働いているなんて考えませんでしたし、目の前のことを頑張るしかないと思います。
でも個人的にエネルギーが漲っているアフリカ大陸に興味がありますし、女性のプレゼンス向上に寄与していきたいと思います。
ー学生にアドバイスがあればお願いします。
まずは動いてみることです。1人だと動けない人も、とにかく他人に話しかけてみてください。世の中話しかけられて嫌な人はいないと思います。
断られることを嫌がって行動しないのはもったいないです。自分が逆の立場だったらどうだろうと考えて、行動することです。
あとは期限を決めることかなと。いつかやるでは一向に始まりません。とりあえずチケットを取る、話しかけてみる、という精神が大事ではないでしょうか。
そうすれば知り合いも増えるし、チャンスも自然と舞い込んでくると思います。
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