『獣ゆく細道』の歌詞解説まとめ&意訳してみた。

10月1日の夜、たまたま夜更かししていた僕は、さらに2時間、就寝時間を引き延ばすことになりました。

椎名林檎作詞作曲。エレファントカシマシのヴォーカル宮本浩次とのコラボ楽曲『獣ゆく細道』のMVがリリースされてしまったのです。

昨日、11月9日のMステに二人が登場し、宮本の狂気じみた(ファンからすればいつも通りの)パフォーマンスが放映されたことで、『獣ゆく細道』という曲について、さらには宮本浩次という人物について、もっと知りたくなった人も少なくないと思います。ツイッターでも「#宮本さん」がトレンドに入っててファンである僕としてはご機嫌でした。

そんなタイミングなので、より多くの人がこの曲の味わうために参考にできそうな考察(解説・解釈)をいくつか紹介しつつ、歌詞を意訳して、最後に自分なりの感想をのっけてみたいと思います。(注:長いです)

先行研究①_MV解釈めちゃすごい。

まず、一つ目は、曲が公開された翌日にYoutubeにアップされた、映像作家の柿沼キヨシさん(エレカシの大ファン)によるこちらの解説。

曲のリリースから翌日という短時間でよくここまで考察できるなと感心してしまいます。「これは宮本浩次の歌のGoogle翻訳です。(椎名林"語"への)」と語っているように、椎名林檎が書いた歌詞の意味を、過去のエレカシの歌詞に照らして共通点を見出していきます。

GINZA SIXのテーマ曲として椎名林檎とトータス松本が共演した『目抜通り』とも関連づけつつ(『目抜き通り』に出てくる季語が「春・夏」。『獣ゆく細道』に出てくるのが「秋・冬」)、椎名林檎が、宮本浩次の生き様を通じて、この曲の歌詞の中で何を言いたかったのかを探るアプローチは、聞いていて単純に楽しかった。

そしてさすが映像作家。後半のMVの演出に関する解説が圧巻です。まさかゲーテやプラトンが出てくるとは。でも、どれも説得力があり納得させられます。特に宮本浩次を「ファウスト」、椎名林檎を「悪魔メフィスト」、ダンサーを「犬」と解釈する事で、歌詞と映像の解釈が一気に解像度上がるこの体験はすごかったです。(必見)

※ちなみに、同・柿沼さんによるエレカシ論としては、こちらが面白いです。デビュー当時から現在にかけて、30年間のアルバムを並べながら、宮本浩次が何を考えて曲作りをしてきたかを考察しています。柿沼さん曰く、「30年の伏線があった!」とのこと。映像はコチラ

先行研究②_ベテランエレカシファンの本気分析

そしてこちらは、おそらくベテラン・エレカシファンのJohnnyさんという方のブログ。こちらは、いやあ、宮本浩次の奥さん(いないけど)かなと思うほど、彼を知り尽くしたかのような解釈。愛がすごかった。

特に考察②の、歌唱パートの分析。どの部分が宮本浩次自身のことで、どの部分が椎名林檎のことを言っているのか。そして、双方のメッセージのやりとり(鼓舞しあっているところ)はどの部分か。といった事が、主旋律の切り替わりのタイミングや両アーティストの思想から考察されている。歌詞の一番最後についてこう書かれています。

ここだけは、ユニゾンなんですね。同じ音です。ハモリもない。サウンドもない。ただ、ふたりの唄声だけが響く。これは、お互いが、この曲を聴き返したときに、お互いの背中を押すものになっている証と言えます。だから、獣としてお互いに表現者として迷った時に、この曲にお互い立ち返りましょう!という「熱いメッセージ」ですね。

なるほど。w

先行研究③_『目抜き通り』との関連を深堀り

この方は『目抜き通り』がお好きなだけあって、先ほど紹介した映像作家の柿沼さんの解釈を踏まえ、さらに以下のような発見を提示しています。

そして、私、この曲を続きで聴いてみたんですけど、「目抜き通り」の最後と「獣ゆく細道」の始まりのテンポが同じ速さなんです。つまり繋がっていること。実は「目抜き通り」の続きだったんですねー。

『目抜き通り』(春夏)から『獣ゆく細道』(秋冬)は音楽的にも地続きであると。普通そんなとこ気づく?

僕なりの翻訳(意訳)

ここまで充実した考察が世にあふれてしまうと、もう言い尽くされてしまった感がありますね。けれど、「自分なりに言葉にしてみたい」というのがこれを書く時の動機だったので、紹介した先行研究を踏まえて、被り、誤解、不勉強を恐れずに、歌詞の言い換えをしてみます。(オリジナル歌詞全文はコチラ

※Apple Musicなどで曲を流して、耳で歌詞を聴きながら読むのがおススメです。

①冒頭/題材の提示

この世は(諸行)無常。って昔からみんな言ってるし分かっているはずだけれど、いざその事実を前にすると、実際どう生きるのがいいかってことは誰もが右往左往しながら悩んでること。

②宮本(主旋律)パート/宮本の悩み

自分以外の何者かに定められた「おきまりの道」に流されて歩いているだけの毎日。ふと「こんなんでいいのかな=飽き=秋(あき)」という感情が湧き上がる。

そこでふと思う。自分は社会の大きな仕組みの中でいろんな役割や期待を背負い(着膨れして)いるが、本当に俺は自分の人生を生きているのだろうか。自分の才能を手なずけてうまく使っているようで、実は飼い殺しているだけなんじゃないか。

▷林檎挿入パート

そのとおりよ。本能(からだ)はまるで別のものを求めているんじゃないの?

③宮本(主旋律)パート/宮本がこれまで出してきた答え

うーんたしかに。社会性を帯びた「人間」になってしまう前に持っていたはずのもっと純度の高い感度を軸にしていきたいものだよな。だってそう、俺の本性は「獣」なんだから。

何も持たずに丸腰のこの命を解放して、人生を突き進もうぜ。行き先は(決まってる)命が終わるその時(こと切れる場所)。すべての生命(大自然)と同じように、儚い人生を行こう。

④林檎(主旋律)パート/林檎の悩み

いざ、(宮本さんが通った)獣道に足を踏み入れると、そんな「無常で儚い生き方=蜉蝣=冬(ふゆ)」に身震いする。大勢に足並みを揃えて、ちょっと安心していた自分を恥じる。

仕事上は結構「気遣いキャラ」でやってるけど、実際はむしろ他人に気を遣わせてきたりしてるみたいで、私って、いやだなあ。

▷宮本挿入パート

他人のためのように見せかけて結局自分の事しか考えてないのかよ。とんだカマトトだな。

⑤林檎(主旋律)パート/林檎の答え+宮本への鼓舞

ん〜。そうよね。変に装って謙遜なんかしてなかった時の私の感度の方が誇りが持てたし本当はそうありたい。だって私も、正体は「獣」なんだから。

これは私の持論なんだけど、(より厳しく険しい冬を生きるならば)その寒さに悴んだ命が報われるのは唯一、成し遂げるべき「結果」が出た時だけだと思うの。宮本さんは孤独と戦ってきたイメージがあるけれど、孤独ってつまり、自由ってことだから。あまり孤独そのものに囚われずに、もっと遠くへ行きましょうよ。

▷林檎挿入パート

他人の評価としての「(アーティストとして)本物」か「ニセモノ」かなんて、ナンセンスでしょう。

▷宮本挿入パート

ああ、他人の能書き(評論)はもう結構だな。

▷MIX挿入パート/アーティストとしてのスタンスを切る

幸せか不幸かとか、勝ち負けも、本人にだけ意味があるううぅぅ!!!

(間奏)

⑥宮本(主旋律)パート/俺の進むべき道はこれだ!

この、わずかな自分の命。どうせだったら使い果たしてしまおうぜ。人生を覆ってしまうような悲しみに出会っても、抱きかかえてそのまま進むだけさ。

結局は(自然からの)借りもののこの命。せっかくなら厚かましく使い込んで返そう。さあ思う存分、生命を謳歌しよう。自分しか通れない…

▷ユニゾンパート

細い細い自分だけの獣道を進んでいこう(お互いに)。

-意訳fin-

この曲は、椎名林檎による宮本浩次論であり、アーティスト論

まずこの曲を聴いて、『丸の内サデスティック』を思い出しました。椎名林檎が敬愛するベンジーに「グレッチで殴って」って言ったみたいに、宮本浩次に自分を罵らせているのが印象的だったし、歌詞にたくさん(わかる人にはわかる)意味を潜ませる作り込み方が似ていると思って。でも今回はそれだけではありませんでした。

先行研究②で紹介したJohnnyさんがすでに触れているように、この歌詞は椎名林檎から宮本浩次へのラブレターでもあり、叱咤激励でもあるように読めます。

椎名林檎はエレカシの『悲しみの果て』以来のファンで、宮本浩次を尊敬していることで知られているし、『昇れる太陽』というアルバムを聴き込んでいたというエピソードからもわかるように、彼の楽曲の多くが「自分の才能と世間の評価のギャップへの苦悩」から生まれていることを知っているはずです。

ミスチルもスピッツもさだまさしも泉谷しげるも椎名林檎も、みんながリスペクトするほどの才能があるのに、エレカシって『今宵の月のように』以外、メジャーにランクインするような大ヒットがない。売れない中で「さあ頑張ろうぜ!」と「(全然売れなくて)すまねえ(俺の)魂…」「ここからリスタートだ!」みたいなことを繰り返し歌ってきている。

そんな宮本浩次を見ていて、椎名林檎のプロデューサーとしての性(さが)が発動したのではないでしょうか。単にリスペクト・ラブレターではなく、あなたの本性(獣)が生きる道はこっちじゃないですか?という、道標を提示した。そんな想いが節々に感じられます。(僕の意訳がそうなってます)

昨日のMステでも、宮本浩次とタッグを組んだ理由を椎名林檎は「楽器としてすごいじゃないですか。日本が誇る名器なんで」と述べていました。これは最大限のリスペクトであると同時に、今のままでは「もったいない」という意識の現れでもあると思うんです。

ただここまで書くと、プライドもあるだろう宮本浩次が、よくそんな歌詞の曲に乗ってきたなと思えてきます。しかしながら実はエレカシはこれまでも結構、外部のプロデューサーと一緒に曲を作るということをしてきています。(例えば、エレカシよりもずっと売れているミスチルを手がけていた小林武史さんと一緒にやったりとか)宮本浩次は「結果」に誰よりこだわりたい人。他人の力を借りて成し遂げられるなら、それを受け入れる用意があります。

また、あるドキュメンタリーで(2017年、栃木・宇都宮公演の楽屋で)宮本浩次が自分自身の才能について答えたシーンがあるんです。そこで彼は自分のことを「自分の歌におけるコンサートの表現っていうのはたぶん…(中略)…世界屈指ですから。」と言ったあと、こうして会場をお客さんで一杯にするのにすごく時間がかかってしまった。今こうやって歌えるのはうれしい。51歳でようやく少しずつ評価されてきたのは良かったけど、でも、もったいない…。というような意味の事をこぼしています。

そうした言動を踏まえると、今回の椎名林檎の「自分の才能との向き合い方」の提案は、そんな今の宮本浩次に対してちゃんと「刺さった」ともいえそうです。

独特な関係性。本物同士じゃないと分かり合えない感覚でつながっている二人の曲が『獣ゆく細道』なのだと、僕は思います。(疲れた)

ここまで、完全に勝手な解釈ですが。先輩たちの考察を踏まえさせていただいてるのでそんなにズレてはないはずなんだけどな。もし別の解釈がある!という方はぜひコメントで教えてくださいませ。いろんな見方を知りたいです。

それでは最後に、もう一度聴いてください。

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