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9年勤めたLITALICOを卒業し、東京藝術大学修士課程に入学しました

LITALICOの方については一部の方に直接もしくは噂で、またはお手元に届いた社内報の編集後記を通じて伝わっているかなと思いますが、それ以外の方にはまだご報告していなかったので、改めてこちらに。

昨日入学式があり、東京藝術大学大学院 美術研究科先端芸術表現専攻 に入学しました。上野の桜は満開でした。

9年勤めたLITALICOの方は、年度末で一区切り付いていますが、厳密に言えば、あと数日の勤務をもっての卒業となります。

(同期4人のショット)

まだ在籍しているのでLITALICOへの感謝と愛はまた別の機会に暑苦しく語らせていただきますが、思い返せば入社後経験した業務は多岐に渡り…

障害者就労支援事業→広報→発達障害児の支援事業→子育てメディア

これだけの経験させていただきました。周りの方にはたくさんご迷惑をおかけしましたが、当の本人としては、どの部署の仕事も一つ残らず面白かったです。これまで経験したどの学校教育よりも長い間所属し、密度の濃い時間を過ごさせていただきました。自分でも自覚がありますが、結構人格も変化したと思っています。感謝してもしきれません。(なので、別記事にまとめますw)

なぜ、いま、藝大?

みんなに聞かれそうな質問です。

これは、理由は一つではないのですが、一番大きな考え方としては「30代のうちに代表作をつくりたい」というものがありました。

20代最後の年あたりから、30代の過ごし方を考え始めました。僕にとってはLITALICOの仕事はとても充実していたのですが、同時に長く所属している環境に甘えて一つひとつの仕事をフルスイングできていない自分にも気づいてしまい、根本的なところでは自信を持てないでいました。

昨年の3月に10日ほど休みをいただき、知人を訪ねてベルリンに滞在したのですが、その期間中ゆっくり考えた結果、「自分が情熱を燃やせるテーマでフルスイングを重ねること。その先に、代表作を生み出すこと」が、自分を次のステージに向かわせるためには必要なことだと思い、両親の影響もあってかねてより興味のあった芸術大学という環境に進む決意をしたのでした。似た観点ですが、自分のキャリアのど真ん中にアートを置くための本格的なスタートを切りたいという気持ちもありました。(代表作というのはアート作品のことではなく、代表作と言える仕事、くらいの意味で使っています)

ちなみに自分の中でそう決めたあとに、編集長を勤めていた「コノビー」が事業譲渡されることが決まり、すでにこの4月からNTTドコモ社の事業として新たなスタートを切っています。(これから先、もっともっといいサイトになると思うのでたのしみにしていてください)

東京藝大の先端芸術表現専攻を選ぶのはなぜか。これは、多様な表現手法にチャレンジしている学生がいるため刺激的だということもありますが、日比野克彦さんというアーティストがいる。ということが何よりの理由です。

子どもの頃から自分の部屋には日比野さんがデザインした時計がかけてありましたし、母が主宰する絵画教室の壁には日比野さんが書いたドローイングが飾ってあって、非常に身近な、そして尊敬するアーティストです。

そんな日比野さんの近年の仕事は、アートをより日常的で社会に対して開かれた存在にしていこうという基本姿勢の元で行われるアートプロジェクトがメインとなっており、その中には多様性とアートの関係性をテーマにしたTURNプロジェクトや、そうしたテーマ関わる人材育成事業でもあるDOORプロジェクト、美術館という場のあり方を問い直すアートコミュニケーター「とびラー」を排出しているとびらプロジェクトなどがあります。

東京藝大という、アーティスト養成機関の日本最高峰としての役割とプライドがある環境の中で「アートの役割って、もっと広いんじゃないの?」という問いかけを積極的にされている点に共感しています。

アーティストや作品に依存しない芸術的価値を考えたい

僕のテーマは、一言で言えば「感受性」です。

アーティストがどうあるべきかや、作品の良し悪し、またその伝え方を論じるのではなく(そこにも一定の興味はありますが)、アートと無縁な(だと思って生活している)人の中にだってある、目の前のものを「おもしろい」「うつくしい」と感じる感受性を、どうしたらより一層喚起し保障していけるのか…ということについて考えたい。アートを一部の人の特権のように扱わず、その裾野を広げる方向に働きかけていきたいと思っています。

そう思うようになったきっかけは、アール・ブリュットなど「マイノリティー」による表現活動がクローズアップされていく過程で、あそこまで一人ひとり丁寧に個性を見つめてもらえる障害者の方達の取り上げられ方に対して「いいなあ、うらやましい!」と思ったことにあります。特別支援教育についても、支援学級は個別支援が前提だけど、通常学級は40人一斉指導のままで支援級ほど個別性が認められていません。そこにも同じような羨望と嫉妬を感じていました。

個人の中にある感性・感受性(個性の一部)が尊重されるというのは、マイノリティやアーティストが受けられる特権ではなく、すべての人に開かれたものであるはずです。

その立場に立って、表現者よりもむしろ普段あまり表現しない(と思われている)人たちの方に、関心を寄せています。

今後は日比野さんのプロジェクトにも関わりつつ、自身ではアーカイブと言語化をかねて新しくメディアを作りながら考察と実践知を蓄積していきたいと思います。ここは追い追い、報告していきますね。

野望としてはやっぱり、この研究テーマをいつか、高校生の頃から取り組んでいる「遊び論研究」とドッキングさせたいです。というのも「教育」と違って「遊び」は学問の対象としては非常に限定的な扱われ方しかしていないばかりか、それ自体が市場価値とも結びつきにくく、例えば冒険遊び場のような遊び場のあり方が持続可能なものになるため物語が確立されていない。(教育はカリキュラムがあり、教材があり、学校と受験システムがあり…公的予算と市場が一定結びついている)これは学生時代から僕の中にある根強い問題意識です。

この課題に対して、遊びを芸術(もしくは芸術と社会の関係性)の文脈から語り直すことで、助成金を貰うにしても今とは別の予算から引っ張ってこれたり、コラボする区役所の課が増えたり、協業できる企業が増えるといった形で、新しい「遊びと経済の関係」を作れないか。というのは多分2年では無理なので多分ライフワークになるんだろうと思いますが(笑)、いつか本も書きたいくらい大切にしたいテーマです。

フリーで仕事もはじめます

学生になりましたので学割が使えたりしてラッキーではあるものの、生活もありますのである程度仕事をします。

すでに決まっているところでいうと、これまでの編集チームのマネジメント経験を生かすかたちで、モリジュンヤさんのinquireという会社に関わらせていただく予定があります。おもしろいチャレンジになりそうな予感です。

その他、まだいくつか調整中のプロジェクトがある感じです。たのしみ。

せっかく振り切った時間の使い方をするので、おもしろいことにこだわってやりたいと思っています。何か一緒にやらない?という方は Twitter @tatsuwat もしくは tatsufico.watanabe [@]gmail.com までどうぞ!

またこんな面白いプロジェクトやイベントがあるよ!というお誘いも大歓迎です。住居も大学に合わせて横浜中華街から北千住に引っ越しましたので、都内で飲みのお誘いもぜひ。

駆け足のご報告となりましたが、ひとまず、こんなところです。

この9年間、LITALICO内外でお世話になった皆様、応援してくださっていた皆様、ほんとうに、ありがとうございました!!

渡辺 龍彦

※主にInstagramかTwitterにいます。


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