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小川徹の憂鬱

【注意】この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません【注意】

 小川徹は疲れていた。
 身長163cmの彼は、あるいは格闘家としては小柄な部類に入るかも知れない。
 1987年3月19日に新潟県で生まれた彼は、だが肉体的には頑健だった。その強靭な肉体を生かして陸上自衛隊でレンジャーとして十分なキャリアを積んだのち、総合格闘家への道を選んだのが2014年のこと。
 以来、小川徹は格闘家として戦い続けている。時にはリングに沈み、時には勝利し、そして常に仲間たちに支えられて。

 しかし今、小川徹は疲れていた。
 だがそれは、肉体的な疲れではない。
 どちらかと言えばそれは自身の運命に対する呪い、あるいは虚無感による疲れだった。
「あーあ、また来ちゃったよ……」
 朝まで仲間たちと酒宴を楽しみ、自宅へと向かう帰り道で思わず徹は嘆息した。
 目の前の大柄な若者が無言で徹を睨んでいる。

 チャレンジャー。

 それは小柄な徹のことを舐めてかかり、今まさに襲いかかろうと身構えるストリート・ファイターの姿だった。
 みんな、同じだ。
 みんな大柄な自分の方が徹よりも強いと舐めてかかり、みんながパンクラスのフライ級暫定王者である徹を倒して世間に名を売ろうと挑戦してくる。
 来る日も、来る日も。

(総合のことをなーんにも判ってないんだよな、こいつら)

 そうは言っても降りかかる火の粉は払わなければならない。
 徹は手にしたバッグを地面に下ろすと、静かに上着を脱いだ。
 丁寧にジャケットを畳み、そっとバッグの上に置く。

「……覚悟、上等」

 そのアホヅラは、これまたアホな啖呵を切るといきなり徹に襲いかかってきた。
 上腕を大きく振りかぶり、徹に向かって振り下ろしてくる。
 典型的なテレフォンパンチ、何もかもがド素人だ。
「あー、もしもし?」
 だが徹は、あえてその拳を額で受けた。
 ガツンッ
 アホヅラの拳が硬い額に阻まれ、そして弾き返される。
「クッソッ」
 アホヅラが痛そうに顔を歪める。

 正当防衛、成立。

 額の骨は分厚く、そして硬い。さぞかし痛かった事だろう。
「オリャーッ」
 だがそれでも懲りないアホヅラが、今度は左手でフックを放つ。
「…………」
 徹は無表情のまま両手でそれを受け止めると、一瞬で相手の肩と肘の関節を極めた。
 両手でアホヅラの腕を掴んだまま素早く懐に潜り込み、今度は背負い投げの要領でアホズラの身体を宙高く投げ上げる。
「!」
 舞い上がったアホヅラの無駄に長い顔面に驚愕の表情が浮かぶ。
 手を離さず、そのまま一気に一本背負いの体勢に。途中膝を突き、破壊力を増大させる。
「うわっ」
 迫り来るコンクリートの路面にアホヅラが悲鳴を漏らす。

 コンクリートで囲まれた都会の路上は、その全てが殺人兵器と化す。
 だが、徹は奴の顔面がコンクリートの路面に叩きつけられる直前で渾身の力を込めてブレーキをかけると、アホヅラの顔が路面に激突することを難なく防いだ。
 ぺたりと座り込んでしまったアホヅラの周囲に、湯気を上げる液体がヒタヒタと広がっていく。

「…………」
 脅威が去ったことを十分に確認したのち、徹はようやくその両手をアホヅラの腕から離した。
 立ち上がり、汚れてしまった膝の埃を右手で払う。
 徹は振り返ることもしないまま、丁寧に畳んでおいたジャケットを再び羽織ると、路上に置いたバッグを持ち上げた。

「……あーあ」

 無意識のうちに、虚無的な嘆息が漏れる。
「こういうのが一番疲れるんだよなあ」

 小川徹は疲れていた。

 馬鹿な、実力も弁えないチャレンジャー達の群に対して。
 総合格闘家としての呪われた運命。
 しかし、逃げるわけにはいかない。

「……帰ろ」

 徹は、そろそろ走り出したはずの地下鉄への歩みを少し、早めた。

──了──


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