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局所性ジストニアを患ったドラマーによるNewプロジェクト

ジストニアと闘うドラマーが復活のためのオリジナルアルバムCDを制作!
病を患ったミュージシャンにも勇気や希望を与えられる1枚を。

僕は北海道で生まれ育ち、13歳の時、吹奏楽部でドラムと出会いました。そして、バンドに目覚めプロを目指し上京して約15年。
たくさんの仲間達と苦楽を共にしてきました。
何度も挫折を味わい、その度に辞めて田舎に帰ろうかと悩みました。
それでも周りの仲間や先輩・後輩の支えに励まされ、今もドラムを叩く毎日を過ごせています。そしてずっと目標の一つとしてきたドラム一本で飯を食うという生活ができるようにまでになりました。

そんな中演奏中に違和感を覚えたのが2019年の夏。
今まで楽に叩けていた曲に辛さを感じるようになってきました。メンテナンス不足かと思い接骨院や整形外科に通いましたが、指示されたリハビリやストレッチをするも改善されないまま、年明けには一曲通して叩けない程になっていました。

そこで義肢装具士として一線で働いている従兄弟に相談しました。紹介してもらった病院で【脚には異常がない】が【脳神経から来ている可能性が高い】と言われました。

その後脳神経内科・外科と受診した結果
局所性ジストニア、本態性振戦】と診断されました。

簡単に言ってしまうと職業病です。
少し前までは、業種によって様々な言われ方をしていました。中には聞き覚えのある方もいるかと思います。例えば、野球やゴルフ界ではイップス、マラソン界ではぬけぬけ病、作家たちの中では書痙と言われていたものです(全員が当てはまるわけでない)。その全てが心因的な理由から来ているものだと当時は言われていました。ですが当時そう診断されていた人たちの8割は、局所性ジストニアだったのではないかと今では言われているそうです。

局所性ジストニアとは、同じ動作のし過ぎにより脳から送られる信号が正常に届かず筋肉が思った様に動かなかったり、硬直してしまう病気です。一定のテンポを踏み続けることすら困難になる方から、特定の動きをしようと思った時だけ症状が出る方もいて人によって出方は様々です。僕の場合はある一定の速度以上のタム回しをした際に手がひっくり返ってしまうな症状が出ます。
本態性振戦とは、手や足などが自分の意思とは関係なく震えてしまう病気です。
僕は本態性振戦と診断された当初、腕を真っ直ぐ伸ばしただけで手の震えが収まらない程でした。
今は薬で症状を抑えられ腕を伸ばすだけでは震えなくなったものの、手首を上に曲げたり(スティックを振る動作)、脚を浮かせ足首を傾ける(ペダルを踏む動作)は未だに自分の意思で止めることはできず震えたままになってしまいます。

以上の症状から
【局所性ジストニア、本態性振戦の合併症】
の疑いがあると診断されました。

※医師から聞いた話を僕なりの解釈、僕の体験談なども含め書いていますのでより正確な局所性ジストニアと本態性振戦については

そのふるえ・イップス 心因性ではありません

など専門書を参考にしてください。

こういう病気があることは仕事柄知ってはいましたが、自分とは無縁のことと思っていました。いざ自分が診断されて、引退の二文字がよぎり頭が真っ白になりました。この病気によって引退に追い込まれた有名なドラマーが何人もいることを知っていたからです。
当時の自分は無知で【治らない病気】というイメージも持っていました。
20年頑張ってきてやってきた結果がこれかと心底へこみ、ドラムから離れることも頭をよぎりました。講師としてなら続けられるかもしれない。でも、ステージに立てないなら続ける意味はあるのか…。
もちろんドラム講師という仕事は大好きです。しかし教え子たちが上達し、ステージに立つようになってキラキラしていく姿を恨めしく思ってしまうのではないかと不安になりました。素直な気持ちで生徒を応援できないくらいなら他の仕事の方がいいのかなと…。

しかし、一筋の光が。
担当医によるとその病院を受診した8割の音楽家の症状が改善し、中にはほぼ完治した患者さんもいるとのこと。
医療の進歩により、手術や飲み薬による治療(リハビリ)があることを知りました。現在は講師業を続けながら飲み薬によるリハビリを頑張っています。が、あまり効果は感じられず未だステージに戻れていないのが現状。このまま叩けなくなってしまったらどうしよう。そんな不安な日々が続きドン底まで落ちた時にふと思ったことがありました。

もしこのまま症状が悪化しドラムが叩けなくなった時、自分にとって何が一番の後悔になるだろう

レコーディング

これだ!
僕の活動歴の中で圧倒的に少ないのが実はレコーディング。しかも最悪の場合、症状が悪化していく一方かもしれない。だったら【今録れる最高の音】を形として残しておきたい。

これを考えた時には既にコンセプトは固まっていました。

たくさんの時間を過ごした仲間
慕ってくれている後輩達
大好きで憧れの先輩達、恩師

彼らと制作がしたい。気づいた時には手当たり次第連絡を取っていました。そしてみんな二つ返事で快諾してくれました。

本当に僕は人に恵まれてここまで来れたのだなと改めて感じました。

しかし、制作についてもう一つ問題が。
僕本人は作曲ができない。今から勉強して作ったところでたかがしれているものしかできない。仮に自分で納得できるものを作ろうとしたら何年もの時間をかけてしまう。でも僕には時間がないかも知れない…。とにかく1日も早く制作を開始したい。

そこで今回参加してもらう数名の方に僕のために曲を書いてくださいとお願いしたところ、これもみなさん心よく引き受けてくれました。ここまできたらCD1枚まるっと僕の思入れのある人達で完成させたいと思い、演奏者はもちろん、デザイナー、MIX,MASTERING ENGINEER、レコーディングスタジオ、これら全てを仲間達で作ることにしました。

今回の企画に多くの方に協力して頂くことになりました。上京し、約15年という長い時間はとても一人では乗り越えられるものではありませんでした。仲間やお客さん、そして家族に支えられここまで来れました。皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。
参加アーティストの情報は随時更新していきますので是非お見逃しないようチェックしてください。

これはあくまで【思い出の1枚】ではなく、【復活のための1枚】にするべく是非皆さんに応援して頂ければ幸いです。

また、音楽家の約5%が今回僕が患った局所性ジストニアになると言われています。同じ病を患った方や、それを支える方々にも勇気や希望を与えられる1枚になればと思っています。

何卒応援の程お願い致します!!

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