見出し画像

ゲーム開発で学んだこと

ぼくの社会人キャリアの最初の頃はゲーム業界で開発の仕事をしていました。その現場で初めて「プロジェクト」という概念を知ります。

プロジェクトとは

当時のゲーム開発は今のようなスマホアプリとは異なり、絶対に失敗が許されないという緊張感がありました。販売後にバグが見つかったら回収しなくてはならず、それまでにかけた数千万、数億の開発費が全て吹き飛ぶのです。新卒3年目には1億円単位の仕事をやっていたので、その緊張感はハンパないものでした。

どうにかして失敗確率を減らしたいと考えたのが、そもそものキッカケです。ぼくはディレクターという肩書でしたが、これって要するにプロジェクトマネージャーだよなと思い、プロジェクトマネジメント(PM)に関して勉強を始めました。プロジェクトとは、何らかの目的を果たす為の期間限定の仕事です。これがゲーム開発にも当てはまります。

ルーツはアポロ計画

PMには、PMBOK(ピンボック)という国際的なガイドラインがあります。そして、PMBOKのルーツは人類を初めて月に送ったアポロ計画にあるそうです。

人類を月に送るプロジェクトと比べたらゲーム開発なんてちっぽけだけど、そのノウハウを徹底して取得すれば、きっとどんな目標でも達成できるようになれると確信しました。そこからぼくは、ゲーム開発そのものよりも、いかにプロジェクトを成功させるかということに関心が向くようになりました。

プロジェクトの限界

当時、プロジェクトの売上と利益がぼくのKPIだったので、利益管理とスケジュール管理を徹底して学びました。

ゲーム開発プロジェクトは、エンジニアやデザイナーの人件費に会社から渡される共通費を加えて、予算内に収めることで利益を出すというシンプルな構造です。スタッフの工数が非常に重要なのですが、彼らのクリエイティビティをいかに発揮させつつ、コストを最小化させるかというトレードオフがとてもスリリングでした。

一方でそうした仕事を数年やっていると、PMの限界を感じました。プロジェクトとは、どうしてもそれ単体で利益を出さないといけないからです。例えば、この継続案件では黒字にして、こちらの新規開発は赤字覚悟でやる、みたいな総括的な意思決定権を、ひとつのプロジェクトマネージャーという視点では持てないからです。

そのため、ぼくの関心はプロジェクトを束ねた事業部マネジメントに向くようになりました。幸いチャンスがすぐに到来して、当時25歳の頃には年商6億ぐらいの事業部を任されるようになりました。

事業部マネジメントの限界

しばらくは、複数のPMを束ねる意思決定を楽しんでいたのですが、またすぐに、今度は事業部マネジメントの限界を感じるようになります。

常に1年という会計年度の単位で利益を出すことが義務付けられるため、その枠を超えた踏み込んだ投資の意思決定などができないのです。また、採用には立ち会えたとしても、そもそもの評価制度の設計には参加できません。

自ずと上位概念の会社経営に興味を持つようになりました。起業は失敗確率が高そうなので、まずはサラリーマンをやりながら経営を学べる、経営企画という仕事をやろう決めました。そうして、27歳の時に、ネットリサーチ業界で当時2位だったインフォプラントという会社の経営企画に転職しました。

ゲーム業界での経験が根底にある

いずれにしても、最小単位であるプロジェクトを成功させるというマインドが染み付いていたので、どんな環境に身を置しても成果を出せるようになりました。また、新しいことにチャレンジする勇気を持てるようになりました。ゲーム業界には感謝しかありません。

ちなみに、PMだけでなく、クリエイティブに関する様々な哲学も学びました。こちらの記事も是非読んでください!

Photo:Thanks to NASA for making this photo available freely on @unsplash


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?