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関係ない

人が言う事やする事、一つ一つ気にしていてもキリがない。
そりゃそうだ。35だが、20年くらい前からそれはわかっていたし、その通り。でもやっぱり周りが気になってしまう。なぜか?自分がないからだと、はっきりわかった。

今月2回整体と剣術を習いに行っている。私が生涯を通して磨きあげたい武器を研ぐ場所がそこにあるからだ。
昨日習いに行って、私以外にも夢がある、もしくは叶えている方もいらっしゃった。先週までは、そんな頑張っている人達の輪の中に入っていけず、妬んでいた。何故だろうか?他と比べていたり、自分らしくなかったからだ。踏み出せるときに踏み出したらいい?
みんなたくさん質問しているから自分ももう少し勉強してしないといけないのではないか?いや、そうではない。別に自分のペースでいいのだ。と思ったり、そんな事いっても楽な方に逃げたり、人の行動を先読みして勝手に無理したりというのはある。でもそれも己自身で、そんな自分も自分らしい。あほやなーとかもうちょっとこうすればいいのに、と思うけど、それが私の本質なのでいいのである。

最近本当に気をつけている事は、自分の本当に大切にしたい事だけを考えて、それに沿ってだけ生きていく、と言う事だ。

その気持ちがあれば、道を踏み外しそうになっても必ず戻って来れると確信した。それは何か?
私の師匠ライフコーチてつがいつもいって下さる【在り方】である。私なりのあり方の解釈は、自分の中心を目を凝らし、耳を澄ませ、静かに呼吸をして感じる事だ。身体と心は一つで、自分の身体を本当の意味で快適にしたくば、身体の本当の奥の細胞レベルで自分を感じ、その感じ方を持って、我存在する地球を感じ、何かと向き合わなければならない。真の自分とは原石であり、対物、動物、などと関わり合う事のみによって磨かれる。

磨くすなわち関わるためには常に『いまの自分』🟰在り方を感じるひつようがあり、そうやって生きていく事が私自身必要だなーと思い、書いてみました。

たっちゃん

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