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こだわらないことにこだわる

Midnight diary #20

私の職場ではゴルフが盛んに行われている。
つい先日もコンペを開催したらしく、事務所はその話で盛り上がっていた。
私もゴルフ経験はあるので、話に混ざって聞いていたのだが、その中で「クラブなんて何でもいい」という話になった。
まぁ簡単に言うと、どんなクラブでもゴルフはできるという人と、クラブにこだわった方がいいという人の意地の張り合いみたいなものだ。
冗談なのか本気なのかはわからないが、自分の感想だけでそこまで言い切れちゃうのも凄いなぁと思いながら聞いていた。

写真をやっていてもそうだが、カメラにこだわる人もいればそうでない人もいる。
当然、両者の考え方の違いというのを理解した上でのこととは思うが、個人的にはケース・バイ・ケースだと思っている。
近頃はカメラにこだわらないことにこだわるという、なんともややこしいことを言い始めた人もいるが、これを掘り下げていくのは一筋縄ではいかない。

こだわるの意味をGoogleで調べてみると、ひとつのことについて強く思い入れたり、執着したりすること。と出てくるが、カメラの場合、スペックや描写について言われることが多いかと思う。
このことから言い換えると、こだわらないというのは、表現や描写にこだわらないということになる。
つまり、そういったものにこだわっても仕方ないということだ。しかし、それではあまりにも投げやりというか、諦めが感じられ、理由としては少々説得力に欠ける部分があるし、私としてはそっちの道には進んで欲しくはない。
こだわらないというのならスマホのカメラでもいいのではないか?と問うてみたこともあるが、それは少し違うらしい。
結局のところ、カメラに拘らないと言っている時点で拘っているということがわかった。

なんとなく腑に落ちないまま4年が過ぎ、最近その意味がなんとなくわかってきた気がする。
「カメラにはこだわりませんが写真にはこだわっています」
おそらくこういうことを言いたいのだろう。
しかし、これをストレートに言ってしまうと、こだわっていないと判断されたときにバツが悪い。
理由をカメラのせいにできる一方で、本人たちはそれが言い訳であることに気がついている。また、それを明確に説明ができないと思い込んでいるため自信もない。だけど何も考えずに撮ってるようには見られたくないから言い方を変えて表現しているということだ。
そこには自信の無さとプライドの高さが見え隠れしており、そこまで考え着いたところでなんとなく納得ができた。

今日はなんかまとまらないので、とりあえず無理やり締めに入る。
最近の若者は、後ろ指をさされ仲間はずれになるリスクがあるため、目立つことを極端に警戒しているように思う。上にも下にも。
思い返すと私の世代にもそういう兆候は見られるが、最近ではそれが一般的になってしまった。
しかしそんな中にも自分を貫きたい若者は存在している。そういう子たちが周囲との微妙な調和を取りながらも自分を表現したいというサインを出しているのだと思うと、随分と生きにくい社会になったものだといたたまれない気持ちになったのだった。

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