依存は、不自由であり自由でもある。

まわりをすこし見渡せば、依存してることはいくつもある。ありすぎる。家族や友達、スマホもそう。
仕事でも、お客さんに依存する。

うちの会社は不自由だ

昨日、バイト先の会社であつまった。「今後どうしていくか?」を話すために。
今はスマホの営業代行一本なので、仕事をくれる会社に依存している。ということは、不自由でもある。

会社からの仕事がなくなれば、うちの小さな会社は即つぶれる。メンバーを抱えきれなくなる。
仕事をくれる会社がどんなに嫌みくさく、どんなにうざったく、どんなに辞めたくても、どうしようもない状況だ。
これは不自由な状態。

自由な状態とはなんなのか?

「依存先をなくす。」が答えではない。
「依存先をふやす。」が答えだ。

お客さんがいる限り依存先が消えることはない。依存先がなくなるということは、そもそもありえない話。自立の真の意味は、依存先をなくすのではなく、依存先をふやしている。

たとえば、依存先が10個あるとすると、そのうちの1つが削れようが、残り9つがあるのでなにも問題がない。
依存先が少ないと不自由だが、依存先が多いと自由なのだ。

(ぶれてるけどなんか好きだからこの写真)

昨日メンバーであつまっているときに、ふと感じていたこと。
「メンバーにやりたいことを自由にやらせてあげる。やりたいことを見つけさせてあげる。」
そんな会社の理想に近づけるために、依存先をふやす必要がある、そんな感じでした。

読んでくれてありがとうございました。また読みにきてください。