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「風の時代」の牡牛座の反乱〜スマホ編〜

数ヶ月前、長年使っていたiPhoneがついに壊れた。このことを通して、私は自分が「ド牡牛座」だということを、久々に自覚した。

まず、同じiPhoneを5年間も使い続けていたこと。しかもiPhoneの使い勝手にどうしてもなじめなくて、早々に「次は絶対Androidにする!」と豪語していたにも関わらず、結局バッテリーが壊れるまで使い続けていた。

「今の生活が変化するくらいなら多少嫌でも我慢する」「同じ物を長く持つ」という牡牛座の気質って、恐らくこういうことを言うのだろう。

それともうひとつ、「ド牡牛座」を自覚したことがある。私のiPhoneがいよいよ充電を受け付けなくなり、電池の残量がどんどん減っていく中での私の行動についてである。

電池が残っているうちにダッシュで店へ行き、買い替えとデータの引き継ぎをすればいいと思うのだが、私はそれをしなかった。

そのとき私が急いでしたことは、「iPhoneの電話帳を転記しておく」だった。「データのバックアップをとる」ということではない。小さなノートに、1件1件、書き写したのだ。

この行動はきっと、「所有の牡牛座」「物質の牡牛座」という気質が濃厚に絡んでいるのだろう。

店で簡単にデータの引き継ぎができるのは、たしかに便利である。だけど私は、手元に確かなものがない状態でそれが行われることに、どうしても一抹の不安を抱いてしまう。

特に今回は、バッテリーが事切れるまでのカウントダウンが始まっている。そんな状況で、手で触れられない空間で簡単に行われる「便利なこと」について、私は素直に喜ぶことができないのである。

多分私は、パソコンやスマホだけで完結させてしまうことに、心からは信頼できないのだろう。

  *

電話帳や大事なメモをノートに転記した上で、データの引き継ぎも行えたらそれに勝るものはない。

とは言え、書き写している間に電池はどんどん減っていく。充電できないのだから、ゼロになったら操作不能となる。このままではデータの引き継ぎはできないかもしれない。転記しているヒマがあったら、とっとと店に走った方がいいのかもしれない、という葛藤は常につきまとった。

しかし同時に、「別にいいや」とも思う。動画や画像は、消えたら消えたで別にいい。いっそ清々しくなるだろう。

ーーその日私は、電池が切れる前に、無事ノートへの書き写しを完了させた。

翌日、店に行って事情を話したが、予想したとおりになってしまった。私のiPhoneは操作不能となり、データの引き継ぎは完全にはできなかった。

結果だけ見れば大失敗のようである。
だけど私は、満足していた。

電話帳を転記した小さなノートをパラパラめくって眺める。私はずっと、これがほしかった。バックアップより、手元のノートを完成させたかったのだ。

いや、だったらもっと早くにノートを作っておけよ、という話でもあるが。そしたら1日早く店へ駈け込めたはずで、データの引き継ぎも間に合ったであろう。

だけど、なんだろう。「データの引き継ぎ、できなきゃできないでも別にいいさ」という、反抗心めいた感情も抱いていた。

スマホに重心がかかりすぎている今の世の中に、私の生き方に、なんかちょっと、辟易していたのかもしれない。

  *

大手通信会社が大規模な通信障害を起こしたと連日大騒ぎしていたのは、私がスマホを買い替えて、しばらくしてからのことだった。

待ち合わせをした友人と会えない。
無料Wi-Fiスポットを探そうとしたが、障害でそもそも探せない。
公衆電話の復活。
固定電話利用の呼びかけ。……でもそもそも固定電話を持っていない家も、昔より増えているだろう。

ニュースを見ながら、密かに思う。
スマホに頼りすぎている今の世の中、今回の騒動をきっかけに、もうちょっとこう……「2歩下がる」みたいな感じにならないかな、と。

文明の進歩は水前寺清子方式、と言ったのは誰だったかな。3歩進んで2歩下がる。結局1歩1歩なんだ、と。

もしスマホの電話帳表示にまで影響が出ていたら、公衆電話さえかけられなかっただろう。私は電話帳を書き写したノートがあるから平気だけどね(えへん)。


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