見出し画像

私の車を買い替える

「携帯空間Fun!Car!Go!」という、昔の車のCMを思い出す。「携帯空間」とはよく言ったものだなあと、横の車に目をやる。

「私多分、運転が好きなんだと思う。昔付き合ってた人がすごい年上で、どこ行くにも全部運転してくれたんだけど。それが耐えられなくて1ヶ月で別れたのよ」
「なんですかそのおもしろそうな話は」
タブレット端末を操作していた担当さんが笑う。

自動車ディーラーのカフェスペース。
展示されているピカピカの高そうな車を眺めながら、若かりし日のドライブデートも思い出す。

車を買い替えることにした。
これまで乗ってきた車は年季が入ってきて、ぼちぼち修理費の方が高くつきそうだから。向かいに座る、私より1つ2つ年下のこの担当さんが、前回の車検のときから言っていた。
実際、変な音が時々するし、下部のサビつきもひどい。

「デートのときは助手席ばっかで全然運転できなくて。だから平日の仕事の帰りに、わざわざ遠回りして一人で運転する時間を作ったんだよね」
「あーなんかわかります」

もう20年近く前になる。その人はナントカっていう製薬会社の人だったが、世界ランキング1位の製薬会社に買収だか合併だかされたから、いまや自分も世界ランキング1位の製薬会社の社員であると語っていた。

その製薬会社の名前を、ファイザーという。
あの頃はまったくピンとこなかったが、今なら「なるほど世界ランキング1位であろうな」とうなずける。

車は大きな買い物ではあるが、正直ホッとしている。ようやく元TOTSUGISAKIの人たちが知らない車で、街を走ることができるから。
店の駐車場にも堂々と停められる。
同じ町内にいるから、そのへんは気をつかう。

別に悪いことをしたわけではないが、できることならこの先はお互い目に入らないように生きていきたい。

前の車は、元夫に言われて渋々購入することになった。初代が軽自動車で、2代目も軽でいいと私は思っていたのだが――3人の甥っ子姪っ子たちが大きくなってきたから、乗用車に買い替えませんかと言われた。

「子供」としてカウントできたときは良かったのだが、そうでなくなると軽では乗車できる人数をオーバーしてしまう。「大人」3人プラス私と元夫が一緒に乗るために、乗用車にしませんかということだった。

理屈はわかる。
しかし軽と乗用車では値段がまったく違う。
それに私の車を乗用車にしろというのは、元夫は運転しない前提の話なのだ。酒を飲むから。

私だってたまには飲みたいよ。「たまに」なのに。あなたは乗用車を持っているのだから、あなたが送迎したっていいじゃないか。「たまに」なのに。

しかも「これなんかいいんじゃない?」と勧めてきた車種は、私の好きな色ではない。2色選べたが、どちらも嫌いだ。
嫌いな色の車と、これから10年は付き合うことになるのだろうと思うと、気が滅入る。

嫌いな色の手帳を持っていたときに体調を崩していった過去があり、長期的に毎日見るものはなるべく好きな色でかためることにしている。

だから次に車を買うときは、「色で決める」と担当さんに言っておいた。内装にももちろんこだわりはある。しかし次は絶対、色だけは妥協しないと強く希望した。

今目の前で書類を書いているのは、あの頃の担当さんではない。いや、あの担当さんはそもそも、元夫の担当だったのだ。
今の担当さんは、まぎれもなく私を担当している。

かつてはこの担当さんの態度にイラッとして口論気味になったり、苦手意識を持ったりしたが。RIKONしたらいろんな人との関わり方をシンプルに考えられるようになった。

私の担当はこの人なのだし。
「餅は餅屋」だし。
全面的に信頼して、私の希望を伝えよう。

――そう仕切り直してみたら、不思議と嘘みたいに担当さんとの関係が良好になった。

「リースについて基本的なところから教えてほしい」と試しに相談したら、たっぷり2時間、丁寧に講義してくれた。そのおかげでリースは私のライフスタイルに向いてないと理解し、新車購入に至る。

そして私の好きな色で、希望を満たした内装の軽自動車もちゃんと用意してもらえた。
心は開いてみるものである。

――元夫に言われるがまま購入した前の車。どこか納得できず、好きな色でもなかった。
だけどあの車に乗っていた頃というのは、やはりというか、私の体が持病による痛みで耐えられなかった頃でもあって。会社の仕事や、家事がしんどいとき、コンビニなどの駐車場で体を休めていた。

それを思い出すと感謝の気持ちで切なくなり、手放す前に隅々までできる限り丁寧に掃除をした。今までどうもありがとね。
ここでいっぱい泣かせてもらったね、と。

あの車は、私にとってはまぎれもなく「携帯空間」だったのだ。

  *

その後、私の好きな色の軽自動車が無事に納車され、ウキウキルンルンで運転している。

街を爽やかな気持ちで走る。
やっと新しいステージがスタートしたのだ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?