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【読書日記】マギ

大高忍/小学館/37巻

<あらすじ>

「頑丈な部屋」から外に出てきたアラジンが、アリババ、モルジアナと仲間になって冒険する。
世界にはあるときからダンジョンという謎の建物が現れ、攻略するとジンの金属器を手に入れることができる。
ストーリーが進むにつれ、アラジンが何者なのか、この世界がどういうルールで動いているかなどがわかっていく。

※以下ネタバレあります。

<勉強になったところ>

恐らくどんな端役にもちゃんとした設定がある。
巻末のおまけマンガで色々出てくるんだけど、それ以外にも描かれていない設定やエピソードがたくさんあるんじゃないかな。
キャラクターの厚みとはこういうことをいうのだと思った。

キャラクターの成長が視覚的にわかりやすい。
服が変わったり、背が伸びたり、髪が伸びたり反対に切ったりする。
顔がちゃんと決まってないとできない芸当だと思う。
髪形や服装以外でキャラクターの書き分けができていてすごいと思った。

世界地図がちゃんと決まってる。
話が進むにつれて世界地図が埋まっていくし、どうやってよその国へ移動するか――交通手段――がきちんと決められている。
各国の文化や産業、制度も書き分けがされていて、これホント設定すごい。
敵対関係も同盟関係もストーリーが進むと変化する。
当たり前と言えば当たり前なんだけどすごい。
どれくらいのプロットで動いているのかが気になる。

魔法に理屈を持ち込んで説明されている。
ルフがあって、術式があって、術式の組み合わせで大きな魔法が使えるようになって……というベースがとてもしっかりしてる。
それを何も知らないアラジンが、ヤムライハから習い、マグノシュタットで学び、アルマトランの回想でウーゴ君が理論化するシーンを見せる。
魔法というシステムを簡単なところから順番に、ストーリーに混ぜて見せているのがすごい。
これを一気に全部ヤムさんが説明したら、多分情報過多で脱落者が出るし、とてもつまらない。
他のシーンも理屈っぽいところが多い。
アリババくんが誰かと交渉するときとか、最後に聖宮が破壊されるシーンとか。
台詞がすごく多くなるんだけど、この理屈っぽさがあるからついていける読者層が確実にあると思う。
戦闘シーンの最中もよくしゃべるから、脱落する層も確実にあると思うんだけど。

テーマがわかりやすい。
「自分の頭で考える」ことをかなり初期の段階から、まずはキャラクターに課す。
バルバッドらへんから、まずはアリババくん一人でスタート。
キャラクターが増えると、新しい子に「自分の頭で考える」ことを課していく。
今まで出てきたキャラクターには引き続き課されていて、それは直面している問題がすり替わるだけで根底の問いはいつも同じ。
当然、キャラが増えれば利害が一致しないので戦いになる。
戦い方も色々で、アリババくんみたいに説得から入る子もいれば、白龍みたいに即殺すみたいな子もいる。
そうやって「自分の頭で考える」子が増えていった最終決戦で世界のすべての人々に「自分の頭で考える」ことが課される。
それまでストーリーの中の特別なキャラクターが勝手に課されていた課題が、実は読者に課されていることがわかりやすく提示される。
魔法のところもそうなんだけど、情報を面白く小さなステップから開示していく手際がめちゃくちゃいい。
作者めっちゃ頭いいと思う。

これを週間連載でやっている……つまり、一回描いちゃったら直せない。
前の方に戻って伏線張りなおしたり、設定変えたりできない。
そんな恐ろしいことってないと思う。
レーム帝国のネルヴァの仕込みは匠の業。
ゲートを守るためにはルフの書き換えがされていてはいけなくて、そのためには堕天が必要。
その伏線がコミックス3巻前に張られている。
練紅炎に白龍のルフが混じる伏線はもっと前。
各章で何がどこまで進むかが決まっていないといけない。
最終章までに終わっていないといけないエピソードがあるはずだし、各キャラクターが手にしていないと最終決戦できない力があるはず。
じゃあ、それをどこで決めるかっていうと、最初しかない。
最初のうちに設定も伏線の位置もエピソードも全部固定してあると思う。

どうやって作ってるんだろう?
普通に考えればオチからなんだけど、逆算が難しい気がする。
上位の神々が決めた運命に縛られない世界を作るのが最終目標で、その方法は? って考えていくんだけど、ストーリー上それは案が出たところで止まっている。
だから、実は最終目的は達成されてない。
つまり、最初から決まってなくても問題ないポイント。
そうすると、マギという物語のオチはどこか……少年誌でバトルものという観点から、やっぱりラスボスを倒すことかな。
じゃあ、ダビデをどうやって倒すかってなると、これもまたちょっと難しい。
普通に考えれば主人公がラスボスを倒せばいいんだけど、ラスボスを倒すことでテーマが完結するかと言うとそうではない。
テーマの完結を見るために倒さなきゃいけないのは、ダビデよりも実はシンドバッド。
シンドバッドの思想に待ったをかけて、みんなそれぞれに「自分の頭で考える」世界にするために、どうしても悪役になってもらわないといけない。
ただ、シンドバッドの理想はある意味で正しいと思えるようになっている。
この辺は銀英伝にとても似ている。
問:有能な独裁者と無能な民主主義はどちらが幸せなのか。
マギの場合、独裁者を「上位の神々」や「運命」や「特異点」に置き換えている。
問に答えが出るかと言うと、現時点では誰も答えが出せないので、折衷案を用意した。
それが、上位の神々とコミュニケーションを取ってなんとかうまく共存できないかを模索する方法。
これだとみんなが「運命」の言いなりにならず、「自分の頭で考える」世界ができる上に、「上位の神々」を悪とはしていない。
神々が悪いものかどうか確かめる前段階がマギという物語のゴール――つまり、ダビデを倒す――だから。
マギの物語構築の道筋がなんだかよくわからないのは、ゴールと目標が違うからなんだよね。
みんなで目標に向かって歩き出すためのゴールがこの物語の終わりのところ。
そうすると、ゴールと目標どっちが先にあって、どっちを起点にプロットが作られたのかがよくわからない。
どうしてダビデを倒さなきゃいけないかと言うと、そうしないと全員が死ぬからであって、誰も死なない、不幸にならない状況であれば、ダビデを倒さなくても実は問題ない。
ダビデと戦う目的を作るためにルフを還さなきゃいけなくて、ルフを還す目的は上位の神々と戦うことで……と辿ることはできる。
でも、上位の神々とコミュニケーションを取るために、主人公を邪魔するラスボスを作ろうという発想の飛躍は難しい。
そもそもの問題として、何故シンドバッドが悪役では駄目なのかがわからない。
すべてを取り仕切り、人々が「自分の頭で考える」機会を奪ってきた代わりにみんなを幸せにすることができるキャラクターが、引き続きみんなの幸せを願ってみんなを殺そうとしている――正義の裏は正義――というストーリーでは何故ダメだったのか。
気持ちよく倒せないから?
みんなで力を合わせてラスボスを倒すときに、相手がシンドバッドだと、ジャーファル君やマスルールがその「みんな」の中から漏れる。
それを防止するため?
「自分の頭で考える」=王や神と呼べるものをみんなで選ぶ=マギが王を選ぶシステムの破壊と考えると、シンドバッドよりひとつ上の次元で話が進まないといけない。
シンドバッドは聖宮に行くことができたけど、シンドバッドを倒してもマギシステムは止まらないことになってる。
それってシンドバッドがウーゴくんを神の座から引きずりおろしてシステムすべてを掌握して……という方向では駄目なの?
できる。
できるけど、禍根が残る。
シンドバッドを倒した後、シンドリア関係のキャラクターと他のキャラクターに対立が生まれて後味が悪い。
となると、やっぱり最後の読後感のためにみんなが気持ちよく悪だと認められる悪役が必要なのか。
そこが起点になるかもしれない。
ダビデというみんなが気持ちよく倒せるラスボスをどう設定するか、から始めればプロットが……立つ、のか?
わからない。
オチから逆算するんじゃなくて、ストーリーを頭から考えていってるうちにプロットが立ったのかもしれない。
あるいは、設定の中から自然と立ったのかもしれない。
何が起点でプロットができてるのかわからないけど、とにかくものすごく最初の方でオチまで決まっていないとこの話は書けないのではないかと思った。

テーマが思想対立で、それを象徴するキャラクターがいるのがよかった。
アリババとシンドバッドの対立はわかりやすい。
抽象的なテーマを持つ話の場合、キャラクターが思想や意見を体現すればわかりやすく伝えることができると学んだ。

シンドバッドの動きがよかったと思う。
アリババの成長に合わせて、じわじわと悪役になっていく。
何か悪いことをするわけじゃないんだけど、読者が基本的に心を寄せるキャラクター――アラジン、アリババなどの主人公周辺――から離していくことで、敵だと認識させる手法もあるんだな、と思った。
敵ではないし、平和と幸せを願う点では同じなんだけど、方法が違う。
目的達成方法が違うことでキャラクターが対立すると、物語に深みが出るんだなあ。

プロットの立て方はわかんないままだけど、緻密な設定は強いということを学んだ。

<感想>

個人的に夏黄文がすごく好きで、ずっと注目して読んでた。
ちっちゃいことなんだけど、紅玉ちゃんが皇帝になっても夏黄文はたまに「姫君」って呼んじゃうのね。
で、紅玉ちゃんはそれに対して「そう呼んで守ってくれてありがとう。でも私、それに甘えてずっと逃げていたのかもしれない」って言う。
そのあとの紅玉ちゃんの演説を聞いて、夏黄文は目が覚めたような顔をする。
貧乏くじだと思ってた皇女様がなんやかんやあって皇帝になって、夏黄文自身も宰相になって、正直もうあとは権力を行使するだけなのに、政策作ったり姫君って呼んだりして長年の癖が抜けないんだと思うとやさしい気持ちになった。
多分、紅玉ちゃんが大事なのではない。
皇帝になってもアリババくんが来るまで特に何かできるわけじゃない紅玉ちゃんを見続けて、「まだ助けてあげないとダメな存在」だと思い込んでるんだと思う。
それが一気に払拭される瞬間が来るんだ……。
ありがとうございます。
端役だけど大事な私の推しです。
ちゃんと描いてくれてありがとうございます。

端的に言えばとてもおもしろいし、すごく綿密に作られていてすごい作品です。

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