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初詣と神さまのオモチ

※2024年1月2日Instagram投稿

昨日は晴れ渡る空に誘われて初詣。
近所の小さな…いつも人気のない神社へw

決して立派ではなく、綺麗でもないんだけれど。
高台から辺りを見渡せるその場所が、私は好き。

御祭神はアマテラスさま。
氏神さまでもある。

🎍 🎍 🎍

階段を登り、手水で手を洗い、さてお詣り…と社を見た。
常ならば閉ざされている扉が、ほんの少し開いている。

「おや?アマテラスさまと会えるのかな?」
なーんて思いながら、お賽銭箱の前へ。

するとそこでは、近所のおじちゃん達が宴会を開いていた。
スーツにネクタイ、一升瓶に柿の種。
なんとも楽しそうである。

🎍 🎍 🎍

手を合わせ、今日のこの日に感謝✨
ここまで生きてこられたこと。
何だかんだと助けて頂けていること。
そして、何だかんだで幸せを味わえていること。

有形無形問わず、あまねく感謝である。

ひとまず、今年上半期の願い(計画とも設定ともいう)を事細かに述べ、絶賛サポート募集中の旨を伝える。

最中も、おじちゃん達の楽しげな声。
きっと、ここのアマテラスさまも宴会中だろう。

神さまも多次元に存在されているので、別次元のアマテラスさまは救援などに向かっているかも知れない。

そんな事も思いながら、目を開けた。

力強い風が吹き抜ける。

🎍 🎍 🎍

顔を上げ、御神木へ向かおうとした。

「ありがとうございます」

背中にかけられた声。

驚いて振り返る。

すると、開いた障子から一人のおじちゃん。

🎍 🎍 🎍

「ありがとうございます。こんな物しか無いんだけども、よかったら」

そう言うおじちゃんの手には、一切れのお餅。

私は瞬時に「神さまだ!」と思った。
神さまがお餅をくれた。
しかも手作りだ。

こんな事は生まれて初めて。

それ即ち、奇跡である。

「ありがとうございます!」
大喜びで受け取った。

「神さまがお餅をくれた!これは絶対に応援だ!その意気やヨシ、だ!」と前向きに解釈した。

🎍 🎍 🎍

御神木は社のすぐ横にある。
風の吹き抜ける、崖っぷちのような場所。
キラキラと光が降ってくる。

お餅を手に私は感極まるように泣いた。
なぜだか分からない。
とめどなく「ありがとう」が溢れてきたのだ。

恐らく私はとても平凡な人生を生きてきた。
幸も不幸も同量くらいの、よくある道のりだったろう。
はたから見れば、のらりくらりに見えるだろう道のり。
ただ壊滅的に不器用だっただけで。

きっと『普通は』楽々にこなせる過程も、私には難解な謎解きのようだった。

今だってまだ、うまく腹落ちはしていないけれど。

それでも本当に様々な愛に守られて、何とか私なりに歩いてきた。

どれだけの愛を享受してきたことか。

御神木の前で、そんな想いが溢れてきたのだ。
365日24時間360度。
常に誰かの愛に守られて、導かれてきた。

おじちゃん達の宴会を邪魔しないよう、声を殺して暫く泣いていた。
幸せの涙だ。

🎍 🎍 🎍

鳥居をくぐり、階段を降りようとした時。
一層強い風が吹いた。

「風に乗れ!」

そんな感覚が来た。

ああ、そうだ。
風も雨も光も雪も、すべての事象が一つの方向へ向かっている。
『拡大』という一点へ。

多次元的に存在する私達が織り合い織り合い、壮大な一つの絵を描く。
一見、絡まっているようでも。
一見、行き止まりのようでも。
一見、切れてしまっているようでも。

俯瞰したときにそれは、巨大なひとつの作品になっている。
それぞれの物語が編み込まれた、気の遠くなるほど時間をかけ、手を尽くした…
『世界』と呼ばれる、一つの作品。

どうでもいい場面は一つもない。
不要な存在、無価値な存在ならば、はなから存在できはしない。

そういう『世界』なんだ。

🎍 🎍 🎍

そしてきっと。
それを認識して生きろという、神様からのメッセージ。

お餅とメッセージを手に私は階段を降りた。

結構前に描いた作品。神様からのメッセージに寄せて



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